何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

最初のハンドルがバーキン勤務のケンタッキー・マクドナルドだったことは秘密

www.cesa.or.jp


 「THE LINKS」でMSXユーザーに知られる日本テレネットの会長さんが、ちょっと前にCESAのインタヴューに答えていたことを知りました。このブログでたびたび触れているとおり、荒井もかつてLIKNSを利用していました。
 ファンダムのプログラムをダウンロードしたり、おもしろそうなBBSに出没したり*1。おもえばインターネットが普及するはるか以前に、コンピューターネットワークの世界をというものを荒井に教えてくれたのがこのLINKSでした。


 ざっと拾い読みしてみると、今さらながら驚愕の事実の連続です。ファンダムDLサービス用のプログラムデータはなんとLINKSでの手入力。てっきりMファン編集部からデータの提供を受けていたものとばかりおもってました。おかげさまでだいぶ楽さしてもらいました<(_ _)>

「ハパザード」EDよりスタッフクレジット。他にもモンスターデザインとかやってる

 そして衝撃だったのは、脚本家の榎戸洋司さんが、かつて日本テレネットに在籍してゲームを作っていたということ。「GQuuuuuuX」で時の人ですよ(大汗)
 もしやとおもってHDDの資料フォルダを改めてみたら、なんとプロデューサー等の役で「ハパザード」シリーズににも参加してました。宇宙が舞台の「ハパザード2」は、もはや実質「GQuuuuuuX」と言って差し支えありませんよな(違)
 社史をふり返る際に何度かその名が挙がるほど、「ハパザード」は日本テレネットにとっては重要なタイトルだったようです。LINKSが気まぐれで作った冗談ソフトだろとおもってたんですが(おい)、どおりで当時から妙に出来がいいとおもったんだよ…
 かえりみるに、LINKSは先鋭的な取り組みでした。運営は赤字体質だったにせよ、当時のティーンズ層にパソコン通信に触れる機会を与えてくれたことは、その後の日本のコンピューター業界に大きく寄与することになったのではないか、ともおもうのです。

*1:「不健康法師」「メッコール荒井」等のハンドルネーム名乗ってました。