しばらく取りかかっていた夏目漱石の「坊っちゃん」を読み終えました。以前新書版で出ていた直筆原稿を写植で読めるというやつ。房之介さんによる書字の解説が目当てで購入しました(おい)。
「坊っちゃん」は中高生の頃一応読みました。アニメや漫画等になったのも見てはいるはずなんですが、なのに子細やあらすじはほとんど覚えていません。「松山の中学生が寝床にイナゴを入れる話」「マドンナ」「教頭を殴って逐電する話」ぐらいの理解でした(おい)。
歳を取ったせいか坊っちゃんの正義感はあまりに青臭く、さらにけっこう独善的で内心さんざん人を貶めているせいか、あまりいいイメージを持ちません。かえって悪役の赤シャツに少々同情を覚えました。鼻持ちならないインテリ気取りの優男というキャラのせいか、漫画やアニメとかのせいか、これまでトニー谷のようなヴィジュアルを勝手に想像していたのですが*1、女二人をたらしこめるぐらいの色男なんですから、意外と若くてハンサムなんじゃないのかなと*2。さらにマドンナを奪った、といっても、誠実だけれどもお金があっただけでそれ以外は男性的な魅力に欠けてぱっとしないうらなり君に比べれば、知的で会話の巧いしかも没落したヒラ教師よりも収入が期待できる伊達男の方に女性がなびくのは当然でしょう。
オチに意外と救いがないなぁとおもいました。策を弄して邪魔者を次々に排除した悪役・赤シャツへの制裁行為を、山嵐と坊っちゃんは「天誅」と粋がっていますが、飽くまで二人によるリンチ*3にすぎません。警察沙汰にすれば自分の悪事も露見することはわかってるでしょうから、失うものの大きさを考えれば、赤シャツも二人による「狼藉」を訴えたりはしないはずです。こっぴどく殴られはしても、二股を公にされてマドンナにフラれたとか校内で権力を失った等々のことはなく、実は赤シャツは社会的な罰やダメージを何一つ受けてません。邪魔な教師3人が学校から去り、学校が赤シャツの天下になった事実は依然変わりないのです。
だらしない女性関係がバレて赤シャツが失脚しマドンナからも見限られたとか、生徒から山嵐の慰留嘆願運動が起こって赤シャツに替わって教頭になるとか、うらなり君が松山に戻ってきてマドンナと元の鞘に収まるとか、そういう絵に描いたようなハッピーエンドを迎えないところが非常にリアルです*4。
ところどころに漱石らしい近代化への懐疑や嫌悪感みたいなものも覗きまして、話の筋といい、タイトルやイメージの清々しさに比して、ドロドロした話だなぁと、おじちゃんになった荒井はおもったのでありました。そりゃウブなティーンズ男子が読んだってすっかり理解できるはずがありませんよ!
ついでに、これだけ「田舎」だとか、住んでる連中皆腐ってるみたいにけちょんけちょんにけなされている松山と、猿の住処と見なされている延岡は、この小説にもっと怒っていいとおもいました。
それとさすが「こころ」の作者だというか、都会から来た活きのいい青年・坊っちゃんを巡る山嵐と赤シャツの三角関係BLモノとしても読めそうだなとおもったのは、ここだけの秘密だい(おい)。