何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

二口番所跡に行ってきた


画像は全てGR DIGITAL IIIで撮影


先日友人TAKAさんと二口峠を走ってきた際、番所跡を見そびれたのが気になって、
雪が降る前に見て来ちまえということで、急遽再び二口渓谷に行ってきたのでありました。
今期の通り抜けは11月6日をもって終了なので、当然車での通り抜けはできません。
しかし車がだめなら歩きゃいいだろうということで、
白糸の滝ゲート前までパジェロミニを転がし、
そこから歩いて番所跡まで行くことになりました。
峠付近はあいにくの雨降りでしたが、雪降りに比べればまだましです。






今回は前回見てこられなかった番所付近の現況を確認するのが目的です。
冬期通行止めとなった現在、あれほど見かけた車の影は一台もなく、
登山客さえ一人もいません。
通り抜けできなかった頃はこんな感じだったよなと登っていけば、
至るところに真っ白なガードレールが設けられ、
以前より格段に増えた立派な舗装区間や補修箇所が目立ちます。
かつて大人一人が埋まるほどに路面がえぐれていた箇所は
きれいに舗装され、その跡形もありません。
おそらく宮城側も近い将来、こんな具合に全線舗装されるのでしょう。






二口峠の界隈の地質は大東岳の噴火堆積物です。つまり風雨で侵食されやすい。
それゆえ二口峠の車道は非常に脆く、毎年修繕と崩壊の繰り返し。
施工主である宮城山形両県は、かさむ工事費に長年頭を痛めていたのだそうです。
ところが近年、修繕費用が国から出ることになったそうで、
思い切って懸案だった大改修をしたとのだとか。
しかしかの磐司磐三郎の遊び場が、
そう簡単に補強できるだろうかという気もします。






ゲートから番所跡まで歩いて30分程度ですので、そんなに遠い距離ではありません。
2007年頃、番所跡入口のところは舗装されていたのですが、
改修工事の途中なのか、そこのところだけ舗装が剥がされていました。
2007年に訪れたときとは周囲の様子が多少違っていたので、
どうやら先日見落としてしまったようです。
入口に申し訳程度に「二口番所入口」の看板が掛かっているのは以前と同じです。
5分ほど小径を辿っていった杉林の合間に、「二口」の名の由来となった
「左ハかうや道 右ハ山寺道」の追分碑を見つけたときは、
ほっとした気持ちになりました。






番所跡にある無人山小屋「翠雲荘」でひと息付けた後、
ゲートに停めてあったパジェロミニに戻ったのが午後1時を大きくまわった頃。
前々から気になってた割に一度も喰ったことがない大瀧不動尊前のおそば屋さん
「たまき庵」で、なめこざるそばの遅い昼食にした後、
山形に戻ってきたのでありました。