何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

山形一旧い峠を巡る話




今日は朝こそ雨降りだったんですが、やがて天気がよくなったので、鳥上坂と二井宿峠に行ってきました。
鳥上坂は南陽市の中川地区から赤湯に下りていくところにある峠で、
二井宿峠は高畠町と宮城の七ヶ宿町の間にある峠です。
どちらも現在は国道が通過しているのですが、かつて使われていた旧道が残っているので、
こちらを中心に見て回ってきました。


鳥上坂は上山方面から置賜盆地に下りていく通路になっておりまして、
赤湯側の峠下には白竜湖という小さな湖があります。
太古の昔、置賜盆地は巨大な湖だったのですが、やがて白鷹町の方から水が流れ出すと、
徐々に水位が下がり、ついには湖底が姿を現したのでした。
こうして生まれたのが置賜盆地で、このとき水路となったのが最上川
そして最後に湖底に残った僅かな湖水こそ、白竜湖だと考えられています。
鳥上坂はかつての大湖水を湖面から湖底までなぞる位置にあるわけですので、
そう考えると、太古の姿を留める山形で最も旧い峠だと言えなくもありません。
峠の脇にある十分一山は置賜盆地格好の展望台で、パラグライダーの名所でもあります。
かつては魚などが自在に泳いでいたであろう置賜盆地を、
現在はパラグライダーが飛んでいるわけです。


旧道は国道に比べて通りは少なく、鞍部は路肩に車を停めて休んでいる人も目立ちました。
入口の隧道といい、鞍部の改修記念レリーフなど、こちらも旧道好きには堪えられない、
見どころのある道でした。


二井宿峠も、山形屈指の旧さを誇る峠です。
峠下には古墳や原人が住んでいたという洞窟などが点在し、笹谷峠が主要道となる以前は、
外からの文化は二井宿峠を経由して入ってきたのではないかと考えられています。
戦国時代には国盗りの舞台ともなったのですが、最も印象に残ったのは「報恩碑」でした。
江戸時代、当地を治めた上杉藩の苛政に耐えかね、身を挺して村を救った義民、
高梨利右衛門を記念する石碑で、二井宿小学校の敷地内にあるんですが、
これが高さ3m以上はある巨大なものでして、そのでかさに度肝を抜かされました。
前に来たとき以来気になっていた、峠の茶屋にも寄ってきました。
納豆餅を頼んだら、小ナスの漬物やきのこおろしも付いてきまして、ちょっと嬉しかったです。
これもそのうち県民ケンちゃんで採り上げる予定ですので、どうぞ気長にお待ち下さいませ。