何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

付録ディスクを移行してなかった理由

 いい機会なので昨日の話の続きを。
 90年代より徳間書店MSX・FAN誌に投稿プログラムを収録したフロッピーディスクが付くようになって、いちいちリストを入力する必要がなくなったのに、どうしてその全てをHDDに移行していなかったのか。その理由が当時のパソコン事情に少し関係することなので、マイコン少年だったおじさんの昔話ということで書き留めておきます。





 実はMファンが付録ディスクを付ける以前から荒井の家には、リストを入力することなくプログラムを入手できる環境がありました。MSX専用パソコン通信「ザ・リンクス」です。
 「ザ・リンクス」では毎月のファンダム作品をダウンロードできるサービスをやっていました。これを使えば入力の労を執ることなく、掲載作品を全て入手することができました。
 しかしダウンロードしたのは一部の作品だけでした。なぜなら。当時の電話回線には定額料金制なるプランがなかったのです。繋いだだけ通信料金がかかる仕組みで、長々と接続すれば家計や小遣いを圧迫します。土日の夜の料金が安くなる時に絞って親の目を気にしながら必要最小限だけ接続して、ダウンロードせざるを得ないという状況。
 ですから「面白そうなものだけ選んで保存する」というのはごく当たり前のことでした。画像は荒井が「ザ・リンクス」からはじめてDLしたファンダム作品「LAST受験生」です。


 付録ディスクが付くようになって料金の心配をする必要はなくなったものの、小遣いの問題はまだつきまといます。保存先となるフロッピーを確保しなければなりません。
 多く掲載作品はMファンの付録ディスクから直接起動できるようになっていました。しかし遊ぶたびにいちいちMファンのディスクを取り出すのは面倒ですし、使い勝手も悪いです。そこでゲームライブラリディスクみたいなものを用意して一度そちらにコピーして、そのディスクから起動することになります。
 荒井のHDDに保存されている打ち込みプログラムの大半は、そのゲームライブラリからHDD上に移行したものなんですがそれはさておき、1990年頃、フロッピーディスクというのはまだまだ高価でした。通常は10枚入ケースが3000円程度、1500円ならかなり安い方でした。
 ですから安い時を狙って、なけなしの小遣いをはたいて1ケースずつ買うのがやっと。50枚のスピンドルパックCD-Rが1000円そこらで売られている現在など夢のまた夢です。
 さらにMSXの2DD/720KBフォーマットのディスクに収まるファイルは最大で110程度。あれもこれもと記録していたらすぐにディスクがパンクしてしまいます。ですから気になる作品、気に入った作品だけを選んで移行するのは相変わらずのことでした。


 さらにもうひとつ、MSXならではの事情もありました。
 やがてファンダムには「D部門」が創設され、複数のリストや多くのグラフィックデータ、音楽データ等、多数のファイルから構成される超大作プログラム、同人ソフト級の作品が増えていきます*1
 だいたいはLZH形式で付録ディスクに記録され、遊ぶためにはPMEXT*2で解凍してから起動するという手間が必要です。こうした作品こそFDにコピーしないとならないわけですが、やはり全てを移行というわけにはいきませんでした。


 MSX-DOS1には「フォルダ」ことディレクトリというものがありません。つまりひとつのフォルダを作ってそこに複数ファイルを突っ込んで一括管理するということができません。ですからいくつものファイルから構成される超大作をDOS1環境で管理するのは厄介です。さらにFDもまだ貴重品です。1枚のディスクに複数の作品を詰めるだけ詰めようとすると、もはやどのファイルがどのゲームの構成ファイルか把握しきれなくなるという有様でした。
 後継のMSX-DOS2環境ではディレクトリをサポートしています。しかし、使うには高額な増設カートリッジとソフト、またはturbo Rが必要です。もちろん貧乏マイコン少年にはそんな高価な環境を揃える余裕はありません。
 D部門作品は本当に気に入ったものだけをごくごく少数移行するに留まりました。それ以外の作品は遊ぶときだけFDに展開して遊んでました。
 ついでにD部門作品にも当たり外れがあります。せっかく解凍したのにいまいち面白くないなんてこともあれば*3、毎月何本も掲載される大作をいちいちチェックするのも大変なことです。やがて付録ディスク収録作品に手を付けることも少なくなっていきました。
 その後turbo Rを入手し、FDの値段もどんどん下がり、ようやく大量のプログラムをわかりやすく管理/移行できる環境は整いました。ですがその頃には膨大かつ当たり外れのある作品にあえて手を付けようとする意志はなく、そのまま付録ディスクは荒井の家の片隅に埋もれていったのでありました。


 いずれにせよ手を付けなければならないとはおもっていたことでありました。それで先日ようやく付録ディスクの発掘をしたのでありますが、それが可能となった背景には、100ギガ単位のHDDや高性能なエミュレーター等が極めて安価かつ手軽に扱えるようになったことがあるのは間違いありません。
 90年代初頭にもHDDといった大容量ストレージこそ存在していました。でも今の数十倍は高価で、まず手出しできるものではありませんでした。容量に任せて大量のデータを無尽蔵に保存するなんてことは当時は全くのぜいたくで、データ一つ記録するにも、少ない容量やファイルへのアクセスのしやすさ等を常に考えながらやらざるを得なかったのです。

*1:「超」とはいっても、飽くまでアマチュア製プログラムなのでその規模はたかが知れてますが。

*2:解凍用ソフトです。

*3:Mファンですので一定水準は満たしてますが、それでも好みというものはいかんともしがたい。