何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

坪景峠再び




今日は天気が良かったもんで、今年の単車初めを兼ねて
以前踏破できなかった坪景峠に再挑戦してきました。
一昨年の夏に行ったときは背の丈ほどもある笹藪と茨に道を阻まれ、
かくなる上は薮の少ない時期を狙うしかないとかねがね思っていたのですが、
このたび再挑戦の機会を作って行ってきたというわけです。
せめて茨だけでも無ければ御の字だと思っていたのですが、狙いは見事大当たり、
あれだけ荒井を悩ませた笹藪もあらかた雪の下敷きで、
文字どおり、雪のおかげで思う存分雪辱を果たしてきたのでありました。
やっぱり廃道峠は草の少ない今のうちに限ります。


今回は比較的道が追いやすい、大江町側から登ることにしました。
峠口は大江町の軽井沢という集落にあるのですが、
左沢からそう離れていないにもかかわらず相当に過疎化が進んでいます。
古くは峠口としてそれなりに人もいたことでしょうが、
春だというのに、今ではうら寂しい雰囲気が漂っていました。





以前来たことがあるので、大まかな道筋は頭の中に入っています。
今回は余裕をもって臨めましたので、この前気がつかなかった物に
あれこれと目を向けることができました。
特に薮がないおかげで、薮に隠されていた地形がはっきりと確認できます。
大江町側には道筋に沿って階段状に整地された平場がいくつもありまして、
鞍部の近くに至るまで、そんな階段状の平場が認められました。





さらに驚いたのは、途中で思いがけないものを発見したことでした。
なんと廃道と化した峠の中腹に、二台も廃車があったのです。
ちょうど前回薮に阻まれ撤退を決め込んだあたりにあったのですが、
車は薮に隠れていたようで、そのときは全く気づきませんでした。
車種はピックアップトラック*1で、1960年代から70年代にかけて販売されていた模様。
「こんたどさ乗り捨てんなよな……」と思うと同時に、
このおかげで1970年代までは曲がりなりにも、自動車が通れるような
道だったということが判明したのでした。
当時は軽井沢にもまだまだ人がいて、峠はもっと身近な存在だったのでしょう。
階段状の平場は、おそらくかつての段々畑の跡です。
廃車のあるあたりは、草がないおかげで格好の見晴台となっています。
春先のほんの少しの間だけ顔を覗かせた峠の姿に、
人々が出入りしていた往時の様子が偲ばれました。
この見晴台でおにぎりを取り出して昼食にしたのですが、
この車が現役だった頃には、お百姓さんもここで弁当を広げ、
お昼を摂ったりしたのでしょうか。





難所は鞍部の近くで現れました。
直下に夏場の勢いを思い出させるような笹藪がわずかに残っており、
鞍部を守ろうとするかのように行く手に立ちふさがります。
ここまで来たからには荒井も意地です。
次々に現れる笹藪や倒木と格闘することしばらく、
ようやく念願の坪景峠の鞍部に立つことができました。
一昨年には西川側から管理道を伝い、鞍部近くの鉄塔まで来ているのですが、
そのときはやはり笹藪のおかげで鞍部踏破は果たしていません。
この鞍部は季節限定で、夏になればすっかり笹藪の下になってしまいます。
山形の峠は冬になると雪に埋もれて通れなくなりますが、
一方この雪のおかげで薮が消え、こんな具合に好事家がやってきて
往時を偲んだりできることを考えると、雪もまたよしです。





薮が退けているのをいいことに東にある尾畑山に足を伸ばしてみますと、
西川側の峠道を一望することができます。特に今日は天気が良かったので、
その背景には月山と葉山が並んでくっきりと見えています。
坪景峠は知名度こそ低いですが、鞍部周辺はすばらしい展望が開けます。


その後は道跡をたどって西川側に下り、全線踏破を達成したところで
再びとって返して鞍部を越え、軽井沢まで戻ってきました。
今の時期ならどちら側から登るにしても、全線踏破が可能です。
薮に埋もれながらも、道跡がほぼ完全に残っているのは驚くより他ありません。
どんな小さな峠でも、訪れてみればその都度発見があり、驚きがあります。
その楽しさに取り憑かれて、荒井は峠巡りをやってるわけです。


それにしても、単車はやっぱりいいですねぇ。
今回は家と峠を往復しただけですが、自動車では気づかない、
土の匂いや温度の変化等々、春の訪れを存分に感じることができます。
単車は五感で乗る乗り物だと改めて思った次第。

*1:具体的にはダットサン1300デラックスといすゞロデオ4WD。