何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

大井沢峠に行ってきた




10月にもなればそろそろ薮も落ち着き始めるだろうということで、
大井沢峠に行ってきました。
西川町の大井沢はこのBlogでも何度か話題にしていますが、
峠はその名のとおり、大井沢と大江町の左沢を結ぶ古道です。
茎ノ峯峠から地蔵峠に至る道智通りが大井沢南の入口ならば、
東の入口にあたるのが、大井沢峠といったところでしょうか。
その昔は道智通りと並び、大日寺経由での湯殿山参詣路としても使われていたようですが、
それもさることながら、豪雪地帯大井沢の「生命線」としての性格が強かったようです。
現在は県道27号線こと、主要地方道大江西川線が代替路となっているのですが、
今回はそれ以前の古道を歩いてきました。





当初は大江町側の矢引沢地区から登っていく予定だったのですが、
途中で道を見失い、急遽反対側の大井沢から登ることにしました。
狭隘区間こそありますが件の県道のおかげで、
矢引沢から大井沢までは、単車なら容易に移動できます。
さっそく地形図を改めると、寒河江川に掛かる中上橋の近くに
それらしい登り口が程なく見つかりまして、ようやく第一歩を踏み出したのでした。





今やすっかり県道に取って代わられていますが、
山菜やキノコ狩りなどで、通る人もいるのでしょう。
道跡はそれなりに残っており、最近付けられたらしい足跡もいくつか見られました。
ただし行く先を示した標識の類はなく、荒れた登山道といった趣です。
そして峠口から25分ほど歩いたところで、とうとう道跡が消えてしまいました。
水の流れた跡が溝となって道跡を横切っており、そこで道跡が途絶えてしまっています。
例によってああでもないこうでもないとあれこれ捜し回ってみること30分、
件の溝に従い沢に下りていったら道跡が沢を横断しているのを発見し、
ようやく先へと進めたのでした。
どうやらこの溝こそが峠道だったようです。
そこから先はきつい登りやぬかる路面がいくつか現れましたが、
道を追うのに苦労することはありませんでした。





そうこうして上の方に登ってくると、周囲にはブナの木が目立ってきます。
さすが月山と朝日連峰に囲まれた大井沢、この峠も豊かなブナ林に恵まれています。
道ばたには見事なブナの奇木がいくつも並び、目を楽しませてくれました。





登りはじめて約1時間半、迷った時間を除けば正味1時間ほどで鞍部にたどり着きました。
鞍部はブナに囲まれた立派な切り通しで、その傍らでは小さな祠が峠の様子を見守っています。
切り通しを抜ければ、茂みの向こうに葉山と村山盆地を見渡すことができました。
雰囲気満点の峠に、道中の苦労も一気に報われるというものです。
道はさらに大江町の切留地区まで続いているのですが、
薮の様子と時間を鑑みて、今回は鞍部を踏んだだけでよしとしました。
今度は薮の少ない時期を狙って全線踏破を試みたいものです。





かつて古道が現役だった頃には、郵便を届けるため、冬でも人が通ったのだとか。
大井沢は全国有数の豪雪地帯ですから、その苦労は並大抵のものではなかったでしょう。
現在の県道は、1980年代に完成したトンネルで大頭森山の北麓を通過しています。
このトンネルは先々代の県知事の肝煎りで作られたものでして、
入口前には御影石製のやたら大きな記念碑が建っています。
しかしこのトンネルをもってしても、峠の付近は冬になれば豪雪で通行止めとなり、
その間大井沢と左沢の通行は途絶えてしまうのです。


今回は余裕があれば大井沢と柳川の温泉に入ってくるつもりだったんですが、
時間切れで入れませんでした。冬期通行止めになる前に、
この界隈にはもう一回ぐらい行くことになりそうです。