何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

軽井沢越えと背坂峠に行ってきた





そろそろ新緑やキクザキイチゲの様子が気になって、また峠歩きに行ってました。
まず行ったのは去年も訪れた軽井沢越え。
今回は尾花沢側峠口から番所跡までを往復してきたのですが、
峠付近は霧雨でぬれそぼち、去年とはまた異なった峠行となったのでした。
雪こそ解けていましたが、そのおかげか県境から番所跡までのぬかるみが去年以上で、
一歩歩くごとに泥に足を取られ、靴がすっかり泥だらけになってしまいました。





番所跡では思いがけず、初老の山歩きの一団と遭遇しました。
なんでも今度開かれる旧街道歩きツアーの下見に来ていたのだそうですが、
あちこちに食べ頃の山菜が生えていたものだから、いつの間にやら山菜狩りになっていたとか。
かくいう荒井もちゃっかり山菜の採り方を教えてもらいまして、
帰りのザックはコシアブラだらけになってましたとさ。
ちなみに時期が早かったのか、キクザキイチゲはぼちぼち開き始めたばかりでした。





教えてもらったのは山菜採りだけではありません。
番所跡に倒れた石鳥居があることも教えてもらいました。
かつて半森山の中腹には神社があって、ふもとにその鳥居があったのだとか。
番所跡のそれらしい場所を探ると、確かにその鳥居がありました。
一人で調べていても判ることには限界があります。
ですからこうして話を伺えたのは、まさに願ったり叶ったりでした。
この場を借りて、新しい発見や勉強の機会を与えてくれた一団の皆様にお礼申し上げます。






次に行ったのは、二年ぶりの再訪となる背坂峠です。
今年は春の訪れが少し早かったようで、雪がすっかり解けていたばかりか、
5月の上旬だというのに、ブナの森はもう見事な新緑を付けていました。





さらに驚いたのは、前に来たときよりも道がわかりやすくなっていたことです。
特に最上町側がきれいに苅り払われ、かつて荒井が苦戦した激薮地帯や
倒木地帯はすっかり姿を消していました。
現在最上町では有志が中心となって、背坂峠の維持存続を図ろうという動きが出ているとか。
峠が山刀伐峠や亀割峠と並ぶ歴史街道として、再び表舞台に現れる日もそう遠くないかもしれません。





もっとも、薮や倒木、急勾配、路肩崩壊等々、尾花沢側は荒れ気味で、
全体としてみた場合、やっぱり危険と隣り合わせの廃道であることに変わりはありません*1
歩くのならば、それなりの準備をしておくことをおすすめしときます。

*1:荒井がわかりやすいと思ったのは、やっぱり道を知っているからという部分が大きいです。