何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

集団で背坂峠に行ってきた

今日は荒井が末席に名を連ねるガイド協会の研修会で、背坂峠を歩いてきました。
協会内でも以前より歩いてみたいという要望が高かっただけに、参加者は約20名ほどと大盛況。
これまでも登山者や教育委員会の視察団が入ることはたびたびありましたが、
案内人を育成するという目的でこれだけの集団が歩くことは、
ある意味画期的なことだったかもしれません。


参加された方々の多くは最上町に住む好奇心旺盛な古老の皆さんで、
野良仕事のかたわら、要請に応じて町の案内をされているという方々です。
町のことについてはなんでもござれというほどの猛者がそろっているのですが、
そうした方々でも、この峠道を歩くのは初めてという方がほとんどでした。
逆に言えば町内でも背坂峠はそれほどまでに埋もれた存在なわけです。
ちなみに荒井の2倍以上の年齢の方が大半なのですが、
歩き終わって感想を伺ってみると「こんな道楽勝だよ!」
「廃道で荒れているというから覚悟してきたがそれほどでもなかった。」
「うちの田んぼのあぜ道の方が歩きづらい。」等々、
非常に頼もしいお言葉が返ってきたのでありました。
さすが常日頃山仕事や山菜採りで山歩きに慣れているだけあって心配は杞憂でした。
僭越ながら荒井は道案内を任されていたのですが、若輩者荒井、参りました!


さて、それぞれ得意分野を持つ古老の方々ですので、それぞれの視点で峠道を歩かれたようです。
例えば森や植生に詳しい方は、峠入口のブナ林や杉林に人の手が入った跡があると指摘すれば、
民俗に詳しい方が峠の中腹付近に炭窯の跡があったことを証拠として、
峠付近で炭焼きが営まれ、木材がそのために使われたのだろうとその説を補強したり、
馬に詳しい方、旧い鉱山について詳しい方等々、それぞれが得た知見や知識を交換しあい、
より背坂峠について理解を深めることができました。
三人寄れば文殊の知恵とは言いますが、まさに人が集まり知恵が集まったわけです。


荒井が何より嬉しかったのは、鉱山跡、ブナ林、お地蔵さん、歴史的意義等々、
参加された皆さんが、背坂峠が町の宝であると気付いてくださったことでした。
見過ごしているもの、忘れ去られたものにも、かけがえのない価値がある。
改めてそんなことを考えたのでありました。
峠で皆さんがお地蔵さんに手を合わせていた姿が印象に残りました。