何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

またまた大峠に行ってきた




DJEBELの整備が終わったのでさっそくご機嫌伺いを兼ねて、
ネタ撮りのため、大峠の旧道に行ってきました。
大峠には去年の秋に福島側から2回ほど行っているのですが、
今回は懸案だった山形側から登ってみました。
旧道は災害により途中で通行止めになっており、
車で福島側に通り抜けることはできません。
例によって行けるところまで単車で行って、
そこから先は歩いて峠を目指すこととなりました。





旧道へは現在の国道121号線大峠道路の途中にある、
普洞沢2号橋のたもとから入っていきます。
その役目を新道に譲ったとはいえ、
旧道も八谷鉱業所や市民の森への連絡道として利用されているためか、
途中までは今でも問題なく通れるように整備されていました。
そして何より、峠は東北幹線・飯豊幹線二本の送電線も通っているので、
管理道としても整備しておく必要があるのでしょう。
やけによく苅り払いされた路肩や、近年補修されたとおぼしき箇所が、
それを物語っていました。





普洞沢橋から7キロほど分け入ると、いよいよ通行止め区間のおでましです。
事前に得た情報によれば、通行止め区間の始まりとなる大猿倉沢橋は、
ゲートと鎖で厳重に封鎖されているはずだったのですが、
現在はそんなものでは済まされないほどさらに厳重に封鎖されていました。
橋のたもとに巨大なコンクリート塊が三つ並べられ、
もはや車は通さねぇぞと言わんばかりに立ちふさがっています。
単車等で無謀な突破を試みた輩でもいたのでしょうか。
ともあれここから先は車両での侵入は無理なので、
バリケードの前でDJEBELを降り、歩いて峠に向かいます。





通行止め区間がえらいことになっているという噂は
かねてから聞き及んでいましたが、
目の前に現れたのは聞きしに勝る廃道の姿でした。
大猿倉沢橋を渡ればいきなり現れる荒れ路面、
路上には大きな落石がいくつも転がり倒木なんてあたりまえ、
両側からは薮が伸び放題に伸びだして、
道路の真ん中あたりまで侵食しています。
かつての国道なので道を追うのは比較的楽ですが、
沢からあふれ出した水で路面は滑りやすく、油断ができません。
しかも道は全行程、東側が即谷底になっているので、
下手すれば真っ逆さまという事態もありうります。
峠まではほぼこんな道ばかりが続くという有様でした。





そして舗装路が切れたあたりで、噂に聞きし倒れた雪崩防止柵が現れました。
こちらもその存在は知っていたのですが、
実際に現物を目にすると、あまりの迫力に笑うしかありません。
大峠を決定的に車両通行止めにしているのは、間違いなくこの防止柵です。
通行を確保するために設けられたものが、
今や往来を妨げているという有様に、悲しい皮肉を感じました。






そしてかれこれ十ヶ月ぶりにやってきた大峠隧道は、
変わらない様子で荒井を待っていてくれました。
あいにく峠付近は小雨模様で、ふもとの展望は得られませんでしたが、
そのかわりに山水画のような山並みを拝むことができました。
廃道とは化していますが、今でも峠道を必要とする者がいるのでしょう。
通行止め区間を通じて、どんなに薮や落石のひどいところでも、
人一人通れるぐらいの踏み跡が付いていたのが印象に残りました。
通る人間がいる限り、この風景を見に来る人間がいる限り、
道はそれなりに残っていくのでしょう。


気がつけば大峠を踏破したことで、
三島通庸が手がけた山形県内の峠をあらかた訪れてしまっていたようです。
三島の峠はどれも味わいがありますなぁ。