何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

板敷越えあえなく敗退

そろそろ藪が茂りだす季節なので、気になっていた板敷越えの様子を見てきました。
今ではほとんど名前も知られていませんが、現在の国道47号線「磐根新道」こと、
最上峡の区間が利用される前に使われていた陸路です。
利用されていたといっても明治初期までのことで、しかもこの区間はほとんど舟運が利用されていたため、
現役時代から頻繁に使われることがなかったという道です。そんなですから今はもう使われず、地図にさえ載っていません。
それでも古口付近の山中に「板敷峠」と名付けられた三角点があることが判明したので、
それだけでも見てこようと、地形図を頼りに山を登ってきたわけです。
さすが150年近く利用されていないだけあって、もう道の跡は全く残っておらず、
ほとんど尾根筋に従って、藪の中を歩いているという有様でした*1
30分ほど藪漕ぎをした末、尾根筋を見失いそうになり、現在の自分の実力では無謀と判断して、
結局三角点には到達せずに戻ってきたのでありました。
...リベンジはいつのことになるんでしょう。

*1:その後どうやらここではないらしいことが判明