やまがた最上 おくのほそ道馬旅紀行。 この旅が終わった 次の日14日の朝。 土砂降りの雨の音で目が覚めました。 「13日は天気に恵まれたんだな」と。 様々な感謝の気持ちの振り返りのスタートは 私の場合、 それが天気に向けられていました。 おくのほそ道を馬で旅してみよう。 そのきっかけは 芭蕉に同行していた曽良の日記に 「清風ヨリ馬ニテ舘岡(楯岡) 迄被送ル」 という文に出会えたことにありました。 確かな未来は懐かしい風景の中にある これは この旅の企画中にあるヒトから頂いた 柳生博さんのコトバですが、 自分の人生へのプレゼントの言葉となりそうです。
何かとお世話になっている最上町のmamoさんが、
尾花沢から山寺まで、馬でおくのほそ道の足跡を辿るという旅を
先日無事成し遂げられたということで。まずはおつかれさまでした。
この旅の最中、mamoさんは舗装路の歩きづらさを実感されたとか。
曰く、『蹄鉄が土をグリップしないため、前に進まないのです。』と。
舗装路というものは、車で通る分にはよいのですが、足には優しくなく、
実は歩くには向いてなかったりします。
小国町の黒石峠の石畳は、江戸時代末期、置賜の豪商が街道の振興を図って
整えたものだったのですが、歩いてみると滑るは衝撃が来るはで意外と歩きづらいです。
目地で足が引っかかるとか石で滑るとか、牛馬にとっても歩きづらかったそうで、
地元の人々はもっぱら並行する子持峠を通っていたのだとか。
そう考えると舗装路というものは、今も昔もあんまり変わりないのかなという気もします。