何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

ペンの親

オリンパス株式会社は30日、ペンシリーズの設計者として知られる米谷美久氏の逝去を発表した。 2005年10月のオリンパス座談会に出席した米谷美久氏  米谷氏は1933年香川県生まれ。オリンパス光学工業株式会社(現オリンパス株式会社)への入社は1956年。「6,000円で買える大衆機を目指した」という初代「ペン」の開発ストーリーが特に有名で、その後は「ペンF」、「OM-1」、「OM-2」、「XA」、「XA2」などの名機を設計、国産カメラの歴史に大きな影響を与えた人物として知られる。  1984年に取締役、1990年に第1事業部長、1992年に常務取締役に就任。1996年の退任後はオリンパス顧問として活躍。デジカメWatchでも2005年10月、インタビュー取材に協力いただいた。

知る人は知っている米谷美久氏が亡くなられたとのこと。
亡くなる直前にPEN E-P1の発売を見届けられたことがせめてもの救いでしょうか。
ご冥福をお祈りいたします。


ペンシリーズ愛用者の一人に、民俗学者の宮本常一氏がいます。
同じフィルムでも二倍の数が撮れるハーフ版で、荷物にならないコンパクトさ、
しかも簡単操作でよく写ることを売りにしたペンシリーズは、
数を撮る民俗学者にはまさにうってつけの道具だったのでしょう。
逆に言えば、宮本民俗学の膨大な写真記録は、
ある意味米谷氏がいなければあり得なかったわけでして、
つながりの妙というか、偉大な発明は偉大な業績を生むことを、つくづく感じたのでした。


ついでに、漫画家の竹本泉先生もペンFを使ってたそうですが、これも妙に納得。