何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

刈田峠に行ってきた




やっぱり夏は涼しい峠に限ります。
というわけで、今日は刈田峠に行ってきました。
刈田峠は蔵王刈田岳の南にある峠で、山形の峠では最も標高が高いです。
ところが蔵王エコーラインが開通していることからも判るとおり、
かなり観光開発が進んでいるため、行くのは非常に容易です。
現に今日は用事で、懇意にしてもらっている最上町のTAKAさんの元に寄ってから、
山刀伐峠経由で蔵王まで行ったのですが、余裕で日帰りできました。





エコーラインは鳥海ブルーライン・西吾妻スカイバレーと並ぶ、
山形屈指の観光山岳道路です。
夏休みで天気もそこそこ良かったため、山形はもちろん全国津々浦々からやってきた
行楽客の自動車が行き交い、山は賑わいを見せていました。
道は絶好のワインディングロードですから、単車乗りの姿も目立ちます。
今回荒井はネタ撮りに行ったのですが、ネタ撮りもそこそこに走りを楽しんでました(おい)。





森林限界を超えると峠は間近です。
県境のあたりには刈田岳山頂に通じる有料道路やリフト乗り場などありまして、
観光客でごった返しています。
その一角には、忘れられたように、朽ち果てたコンクリート小屋が建っています。
今でこそ皆さん気軽に観光を楽しんでいますが、
その昔、峠は県境を巡る争いの舞台となっていたこともありました。
エコーラインが開通した頃、山形にある二つの観光会社が、峠にリフトの設置を目論みました。
リフトを作るには県境を跨がなければならないため、役所に許可を取る必要があります。
ところが各社・各役所で県境の認識が曖昧だったおかげで連絡の齟齬があったようで、
一社には建設許可がなかなか降りず、その間にもう一社がまんまと設置許可を得て
リフトを建設してしまいました。


出遅れてしまった方も何とかリフトを建設したものの、遅れたおかげで客をすっかり
先に作った方に持って行かれてしまい、結局リフト運営から撤退する羽目になりました。
この際、県境の線引きが曖昧だったおかげで大打撃を被ったと
出遅れた方が法廷に訴えたので、改めて正式な県境を決めることとなったのですが、
議論は紛糾し、決着が付いたのは騒動がはじまってから30年も経った頃でした。


件の小屋は争いに破れた方のリフト施設なのでしょう。
今では蔵王の荒々しい自然に晒され、朽ち果てるのを待つばかりとなっています。
この騒動では、当時絶大な権力を誇っていた先に建設した方の会社の総帥が、
関係各位に圧力をかけ、ライバル社を追い落とすため県境を変えさせたという噂が
まことしやかに伝わっています。
小屋に書かれた「県境裁判を忘れるな!」の文字は、かつての醜い争いの名残です。





刈田峠一番の見所は、なんといっても名勝「お釜」でしょう。
リフトや有料道路を使えばもっと簡単に行けるのですが、
今回は登山道を使って安上がりに仕上げました。
お釜は刈田岳と熊野岳の稜線直下にある火口湖ですが、
あまりに有名なので説明は省きます。
かれこれ30年ぶりに見に来たのですが、
前に来たときは強風とガスでろくに見えなかったことを覚えてます。
今日はさいわいガスも晴れ、その全容をすっかり拝むことができました。





「陸奥を ふたわけざまに聳えたまふ 蔵王の山の雲の中にたつ」


お釜から少し北に足を伸ばせば、熊野岳の山頂です。
今回一番の目的は、山頂に立つ斎藤茂吉の歌碑を見ることでした。
茂吉は蔵王の麓、上山出身の歌人で、幼い頃より蔵王は身近な山でした。
その縁で山頂にその歌碑があるわけです。
碑は昭和9年の建立で、なんでも茂吉生存中に建てられた唯一の歌碑だとか。
茂吉は歌碑が非常に多いことでも知られてまして、
日本中はもちろん、ドイツにまであるほどなのですが、
その割に本人は歌碑を建てるのが嫌いで、
そうした歌碑のほとんどは、死後建てられたものです。
その中でここにだけ歌碑を建てるのを許したのは、
幼い頃から親しんだ蔵王の山だったからでしょう。





刈田峠とはいうものの、その場所は非常に判りづらいです。
県境が峠というわけではありませんし、エコーライン上にあるというものでもありません。
地形図上では、峠は大分水嶺に沿って作られた登山道の上にありまして、
エコーラインより10分ほど南に歩いていかなければなりません。
刈田峠避難小屋への分岐点付近が峠なのですが、
あたりは深い灌木の茂みに覆われ、峠らしからぬ峠です。
それでもエコーラインに戻って峠のあたりを見てみると、
そこを境に雲が東西に別れているので、やはり峠なのだなと感じるのでした。


今日はひとまず山形側の探索だけで引き揚げてきました。
宮城側に下れば駒草平や濁川の渓谷、遠刈田や青根温泉などの見所が満載です。
今度はこちらを見るため、近々また行くことになりそうです。