何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

子持峠と背炙り峠




ようやく山形の梅雨も明けましたので、久々に峠に行ってきました。
今日行ってきましたのは、長らく気になっていた小国町の子持峠というところです。
町内の大滝地区と叶水・市野々地区を結ぶ峠なのですが、
それよりも黒沢峠の一つ南の峠といった方がわかりいいかもしれません。


黒沢峠は越後街道十三峠の一つとして栄えた峠で、旧街道の趣を残す石畳で特に知られるのですが、
地元の人々にとっては、子持峠の方がなじみが深かったと伝わっています。
越後街道は、古くは越族の移動路であったことが端的に語るように、置賜地方と外の世界を結ぶ道で、
江戸時代には、塩や鉄、馬や青苧が行き交う主要道として、米沢藩はこの街道筋を主要道と見なしていました。
一方、子持峠は叶水・市野々の人々が小国に往来する際に利用され、生活の道としての側面が強い道でした。
曰く「黒沢峠は殿様の道」である、と。
しかし車道の整備にともない、峠道は次第に往来も減り、
昭和30年代になると、生活の道として利用されることもなくなってしまいました。


現在の峠そのものは一部舗装化されており、鞍部までは自動車で十分通れるようになっています。
峠筋には高圧電線が通っており、鉄塔がいくつか建っているため、その手入れのために整備されたものと思われます。
鞍部から先、市野々側は急勾配の遊歩道で、徒歩でしか通れませんが、
必要十分な刈払いや整備がされており、迷うことなく歩けるようになっていました。


生活道路としては長らく忘れ去られていた子持峠ですが、現在峠筋には県道8号線の新道が建設され、
峠名と同じ「子持」の名を与えられたトンネルで通過できるようになっています。
これというのも、近い将来完成する横川ダムの建設にともない市野々地区が水没するため、
市野々地区を通る県道を新しく付け替えたからなんですが、
つまり、峠となじみの深かった集落が歴史から消えるかわり、子持峠が生活の道としてよみがえったわけです。
子持峠は水没する市野々集落から、かわりにその命を託されたのではないかという気もします。
知名度では黒沢峠に負けますが、こうした経緯を知っていると、子持峠は非常に味わい深いものがありました。


帰りには、村山市と尾花沢市を結ぶ背炙り峠に寄ってきました。
背炙り峠はこれまでも何度か行ったことはあるのですが、
意外にも取材のために、写真を撮りながら走ったことがありませんでした。
これもそのうち県民ケンちゃんで採り上げる予定なので、期待せずにお待ちくださいませ。