何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

地蔵峠に行ってきた




夏場は山奥の林道に限ります。
というわけで、地蔵峠と山毛欅峠(ぶなとうげ)に行ってきました。
例によってこれまで何度か訪れたことのある峠ではありますが、
ネタ撮り目的で行ってきたのは今回が初めてです。





地蔵峠と山毛欅峠は、西川町大井沢地区と朝日町木川を結ぶ峠です。
それよりはむしろ、置賜と月山を結ぶ道と言った方がイメージしやすいかもしれません。
古くは白鷹町の茎ノ峯峠と連絡し、置賜方面からの
三山行者の通り道として盛んに利用されていました。
この参詣道は、整備した人物の名をとって「道智通り」と呼ばれています。
道智通りの終点である大井沢には大日寺なる大伽藍があり、
三山詣での一大拠点となっていました。
かつては全国津々浦々から白装束の三山行者が訪れていたのですが、
明治初期の廃仏毀釈により大日寺が取り潰しとなって以来、衰退してしまいました。
その後永らく山間の一寒村として辛酸を嘗めることとなったのですが、
現在は逆に田舎であることを売りにして、村おこしで注目を集めています。
大日寺は昭和初期に火災により消失してしまったのですが、
跡地にはわずかに焼け残った仁王門が建っており、往時の勢いを偲ぶことができます。
三山詣でが最も盛んになるのは夏場だったのですが、
もし大井沢に大日寺が残っていたら、今頃賑わいを見せていたのでしょうか。





その地蔵峠と山毛欅峠は大井沢の南、根子地区より登っていくのですが、
峠道はいわゆる「大規模林道」というもので、走るのに何も苦労はありません。
幅は大型車が余裕ですれ違えるほどですし、もちろん全線舗装です。
山形屈指の豪雪地帯、月山と朝日連峰に挟まれた山懐から、
下手な国道以上に整備された道が延びているのには、毎度驚かされます。
この林道は、小国町から真室川町までを結ぶ林道を造るという、
途方もない計画の一部に組み込まれたものだったのですが、
諸々の問題や反対により頓挫して現在に至ります。
この計画が成就していたら、林道は新しい道智通りとして
利用されていたのかもしれません。





新しい橋の脇に目を向けると、それと並んで古い橋が残っていました。
新道建設によって古い道は分断され、しかもすっかり薮に埋もれたおかげで、
大部分は失われてしまったのですが、それでもところどころに
旧道の痕跡が残っているのが見られます。
大規模林道ができる前の峠道は、いかにも山奥の林道といった道だったようです。





お地蔵さんが待つ鞍部を越えると、鉱泉で知られる古寺に出られます。
地蔵峠はここまでで、古寺から木川ダムのあたりまでが山毛欅峠となるのですが、
やはり必要以上に整備された道が続いています。
道があまりに良すぎるおかげか、これまで何度か通っている割に
鞍部は素通りしてばかりで、今日までどこが鞍部か全く判りませんでした。
画像はその山毛欅峠の鞍部ですが、その割にブナはさっぱり見あたりません。





実は荒井が特定した場所以外にも、山毛欅峠には鞍部があります。
件の鞍部の少し手前に林道への分岐があるのですが、
地形図では、こちらの林道上に鞍部の表記があるのです。
おそらくこちらの林道の方が本来の山毛欅峠なのでしょう。
古い鞍部は名前のとおりにブナが繁っておりまして、
なるほど名に偽りなしと納得したのでありました。


三山詣での歴史の道であるのはもちろんのこと、
大井沢に大頭森山、古寺鉱泉に朝日鉱泉、神通峡、朝日川の渓谷、
柳川温泉、愛染峠等々、この界隈には、何かと魅力的な場所が揃っています。
何度行ってもこの界隈は、実に面白いもんです。