何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

新庄峠に行ってきた




昨日とはうってかわって朝から天気が良かったので、
単車を転がして新庄峠に行ってきました。
新庄峠は新庄市休場と舟形町長尾を結ぶ峠でして、
現在の国道47号線亀割バイパスと最上東部広域農道の一部に匹敵します。
荒井が行ったのはもちろんバイパスではなくて、
それ以前より存在していた古道です。
新庄峠は新庄と最上町を結ぶ道の中では最も便利が良かったため、
往時には亀割峠や最上小国街道といった道をさしおいて、一番よく利用されていたほどです。
現在の亀割バイパスは、新庄峠の再来と言っても良いでしょう。
それは距離と勾配を考慮して、人々がこの道を選んだ結果なわけですが、
昔から、人間の考えることはあんまり変わりないようです。
ところが近代以降は車道の開通によって、古道は全く廃れてしまいました。
今となっては新庄市民や舟形町民でさえ、その名を知る者はごくわずかです。





峠道自体は足でなければ行けません。
まずは新庄側の様子を見てきたのですが、こちらはもはや廃道となっていました。
本来、道は休場から登っていったのですが、
件の農道建設によって取り付きが失われています。
しかも伐採や開発によって地形が変わり、随所で古道が分断されています。
それでも地形図を見ながらそれらしいところを探ってみると、
灌木の薮に埋もれながらも、かすかに古道とおぼしき切り通しや
道跡を見つけることができました。
試しに跡を追っていったのですが、薮や林で非常にわかりづらく、
山中に消えているのを見届けたところで撤退してきました。


地形図によれば、道は長尾のクレー射撃場につながっています。
実際、射撃場の脇にもそれらしい道跡が残っていまして、
こちらの様子も少し見てみたのですが、やはり全く薮に埋もれており、
少し進んだところで灌木に埋もれて消えていました。
周囲には射撃場から飛んできたらしいクレーの破片が散らばっており、
いろんな意味で探索は遠慮しといたほうが良さそうな気配です。





件の射撃場へは水上林道が通じていまして、
長尾トンネル手前より簡単に登っていけるようになっています。
舟形側へはちょうどその射撃場のところから下っていきます。
射撃場のあるあたりはちょうど峠の鞍部にあたりまして、
往時には茶店などもあったと伝わっています。
新庄側とはうってかわって舟形側は非常に道が良く、歩くに苦労しませんでした。
道幅はゆうに2,3メートルを越え、でこぼこもなく、山チャリなら余裕で通れそうです。
ブナの森からは枯れた枝越しに長沢が見えました。
この森も間もなく、新緑に染まることでしょう。





舟形側の前半はブナ林の中を通りますが、後半は見事な杉林の中を通ります。
足下もブナの落ち葉から分厚く積もった杉の葉に変わります。
新庄峠の舟形側は、亀割山登山道の一つとして整備されているらしく、
そのおかげか、今でも容易に歩けるようになっている模様です。
杉林もよく枝打ちされており、人の手が入っている様子でした。
なんだかんだで道というものは、通る人間がいる限りは消えないものです。





峠道を下りきると、国道47号線亀割バイパスに合流します。
舟形側峠口付近には、国道から20メートルと離れていないのに
カタクリの花が咲き誇っていました。
道はこの後長尾を経由して最上小国川の右岸に沿って進み、
瀬見の亀割観音前につながっているのですが、ひとまず探索はここまでにして、
締めに峠下にある念仏の松を見てきました
その名は昔出羽三山詣での行者が峠を前に松のところにさしかかった際、
山に向かって念仏を唱えたことに由来しています。
そのとおり、松からは見事な展望が広がりまして、
眼下に小国川と東長沢、その奥には遠くの村山葉山が望めます。
本来なら月山も見えるのでしょうが、空が少々曇ってきたおかげで見えませんでした*1
松は実に樹齢500年を数え、広く枝を伸ばすばかりか、
梢は天に向かって高く伸びています。
その雄々しくも品格を感じさせる姿には、ただただ口をぱくぱくさせるばかりでした。


亀割バイパスは荒井もよく利用するなじみの道路なのですが、
国道のすぐ脇に見事な大木があるということ、
そして絶景が広がっているということは、知るよしがありませんでした。
見知ったつもりの場所であっても、いつもの道を少し外れただけで、
途端に未知の光景が広がります。
亀割バイパスを通る車のいくつが、道ばたのカタクリ
念仏の松に気づいていることでしょう。


新庄峠の探索をもって、ひとまず最上地方で廻りたかった峠はあらかた廻りました。
これでようやく心置きなく他の地域の峠を廻れます。

*1:資料によれば、どうやら元から見えない模様。