何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

亀割峠に行ってきた




 今日はやたら暑かったにもかかわらず、亀割峠に行ってきました。
 亀割峠は新庄市休場(やすんば)と、温泉で有名な最上町瀬見を結ぶ峠です。
 峠には、源義経主従逃避行の道になったという伝説が残っています。もともと「休場」という地名も、義経主従が峠越えを前に一息付いた場所だからその名が付いたといわれてますし、瀬見の名も武蔵坊弁慶愛用の薙刀にちなむ等々、峠はさまざまな義経主従伝説に彩られています。
 荒井も小さい頃からその伝説は知ってました。休場と瀬見は峠道でつながっているらしいということも、同じくらいの頃から知ってはいたのですが、これまで実際に行ったことは、一度もありませんでした。


 峠は休場からさらに新田川をさかのぼったところ、新しい農道から曲沢林道を1.8キロほど奥に入った場所から登っていきます。
 峠道は「亀割峠登山道」としてそれなりに整備されていますので、迷う心配はあまりありません。しかしあらかじめ予想してはいたことなのですが、とにかく登りが急です。細かな九十九折りがうんざりするほど現れるばかりか、一歩踏み間違えれば谷底に真っ逆さまというような細道を辛うじて進んでいくような場所が全行程に渡っておりまして、「身重の北の方も、よくこんなどごば通ったな!」と、感心してしまうほどでした。
 しかも今日は暑いもんで、少し登るだけで汗はだくだく、息は切れ切れ、数歩歩いては水飲んで一息入れ、数歩歩いては水飲んで...といったことの繰り返しでした。峠に着いても30分ほどは暑さで動けず、暑い中ぜいぜい言いながら息を整えてました。
 水は瀬見側に下れば潤沢に得られるのが救いで、さもなければ熱中症でくたばっていたかもしれません。


 もっとも、そうこうしてたどり着いた峠は素晴らしいものでした。南西には舟形と松原橋、南には大焼黒山、東には瀬見と大掘を望むことができ、ぜいぜいいいながら登ってきた甲斐があったと思ったのでした。
 峠から少し登れば亀割山の山頂に行くこともできます*1。そちらからは杢蔵山のテレビ塔が北に間近く見え、東に禿岳や花立峠さえ見ることができました。義経主従も眼下に瀬見を見下ろして、ほっと一息ついたのかもしれません。
 最上町側に下ると、水場や史跡といった名所がちらほらと現れます。圧巻なのは峠の中腹にある「奥の院」です。義経に同行した北の方が、山中で産気づいてここで若君を生んだ場所とされています。


 下り道も新庄側に負けないぐらいの急坂が続きます。しかも瀬見に近づくと盛大な藪で埋もれかけている箇所や、陸羽東線を渡るような場所もありまして、最後まで気は抜けない道中です。
 そうこうして峠から最上町側に一時間半ほど下っていくと、瀬見温泉に着きます。瀬見の共同浴場でひとっ風呂浴び、
弁慶が発見したという開湯伝説が残る「薬研の湯」を見物した後、来た道を二時間かけて再び引き返し*2、無事戻ってきたのでありました。


 瀬見温泉は自分にとってお馴染みの場所なのですが、これまで徒歩で来たことは一切ありません。それだけに見慣れた弁慶大橋*3や温泉街を目にしたときは、「本当にあったんだ!」と、どこかのパズーのように喜んだのでありました。


 それにしても、真夏の里山登りは暑くて非常に堪えます。なんだかんだで全行程で、5リットルぐらいは水を飲んでました。家に帰る頃には、ズボンやシャツはもちろん、ザックやカメラポーチ、ウェストバッグも汗でだいぶ湿気ってました。夏休みの日曜だというのに、道中誰とも会わなかったのは、やっぱり皆さん、山より海の方がいいんでしょうかね。

*1:厳密には三角点のあるピークはその少し東にあります。しかし藪の中なので、こちらが山頂と見なされています。

*2:つまり瀬見側からもう一度登って降りてきました。

*3:瀬見温泉西側に架かる橋。ちなみに東側は「義経大橋」。