何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

古道と心霊について




 荒井が好きでよく行く峠や古道には、いわゆる「心霊スポット」として有名なところもあったりするのですが、正直、心霊だ心霊だと騒ぎ立てる向きには辟易してます。
 霊魂の存在は否定しませんし、怖くないとも言いません。しかし怖がるだけで、きちんと調べて理解しようと努めない。そこに辟易するのです。


 およそ心霊スポットと呼ばれる場所には、そうなるに至ったいきさつや背景というものがあります。
 例えば山形県下随一の心霊スポット関山隧道は明治期の工事で23名が亡くなってますし、完成後も険しい線形ゆえ、数々の死亡事故が起きています。
 この史実のみを採り上げて、だから幽霊が出るんだと怖がる輩もいるのですが、どうしてそこで、こうした方々の貴い犠牲の上に道が造られたこと、通行の厳しさゆえに改修が進み、現在の道があることまでに思いが至らないのか?
 単に怖い怖いと興味本位でネタにするだけでは、スリルを楽しむという点で、遊園地の絶叫マシーンと変わりありませんが、関山隧道は仙台ハイランドではありません。


「あなた方のおかげで、今自分はここを通ることができるのですね。来さしてもらってありがとうございます。安らかにお眠りください。」


 犠牲者を悼み敬う気持ち、感謝する気持ち。きちんと知れば、そうした念が自然と湧いてくるものです。悲しい過去を知り、それがもたらしたものを知り、後世に伝えていくこと。幽霊は本当に住んでいるのかもしれませんが、こうした態度で探索をしているおかげか、幸いにして、これまで逢ったこともなければ、悪さをされたことも一度もありません。