何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

八向山に登ってきた

f:id:fukenko:20200404184828j:plain
本合海から見る八向楯。あの祠をどうやって建てたのか毎度気になる。
GR IIIで撮影。Photoshop Elementsで縮小


 人混みが危ないなら人がいないところで遊ぼうと、先日、八向山に行ってきました。
 八向山は新庄市西の果てにあたる本合海地区、最上川のほとりにある低山です。本合海大橋付近から見える姿は切り立った断崖で、あんなところに登れることが、にわかには信じられません。ところが近年やまがた百名山に選ばれたことで、登山道などの情報が広まりました。あの断崖の上に登れるのか。そういうわけで荒井も興味を持ち、行ってきたというわけです。


f:id:fukenko:20200404191658j:plain


 登るといってもさすがに最上川からあの断崖を登っていくのではありません。新田川と最上川の合流地点付近にあるポンプ小屋の裏手から登山道が延びており、これを使えばらくらく登れてしまいます。道はよく整備されてあり、1時間ほどの歩きで難なく断崖の上にたどり着くことができました*1


f:id:fukenko:20200404191743j:plain
八向楯跡。崖の上には気持ちの良い広場が広がっていた。
 荒井が登ってきたのは、厳密には山頂ではありません*2。「八向楯」こと、中腹にある古城跡です。


 八向楯には変わった伝説が残っています。
 かつて八向楯は、難攻不落の堅固な城塞として恐れられていました。戦国時代、この城が最上氏に攻められたときのこと。城は籠城を続け、最上の軍勢を退けていました。ところがやがて、飲み水が尽きてしまいます。水は戦の生命線。城はこのことを敵に悟られまいと、一計を案じました。
 それは敵に見えるところで馬を洗うというものでした。これ見よがしに馬を洗えば水が潤沢にあるとだませるだろうという次第です。もちろん水は使えません。ですので水の代わりに米粒をかけ、水で洗っているように見せかけたのです。
 この奇計はまんまと成功し、まずは敵を欺くことに成功します。しかしこの様子を観察するうち、敵はあることに気がつきます。「流した水に雀が群がっている。あれは米だ。」。かくてもはや城に水はないと見破られ、ここぞと攻め入られた結果、牙城・八向楯はついに滅亡した...というものです。


f:id:fukenko:20200404191927j:plain
八向楯からの眺め。
なるほど、ここに城を作ったのもうなずける。
 伝説の舞台となっただろう城跡は、ちょうど断崖の上にあります。あの崖の上とはおもえない広々とした曲輪がいくつも連なり、これだったら馬もゆうゆうと歩き回れるだろうなと、伝説が偲ばれたのでありました。
 曲輪の上の眺めは抜群です。足元の最上川の向こうには、月山・葉山を背景に、大蔵村の中心部・清水地区が見晴らせます。奥の高台は要害・清水城。にらみを効かせるには絶好の場所です。この登山道は、この城郭に通うための道だったようです。


f:id:fukenko:20200404192408j:plain


 最上川を見下ろす抜群の立地であるばかりか、山は随所で眺めに恵まれています。途中には杢蔵・八森・火打岳といった神室連峰南の山々や、はるか尾花沢の翁山・二ツ森まで見渡せる場所もあります。また、ショウジョウバカマカタクリといった今の時期ならではの山野草が方々に咲き誇り、こちらも目を楽しませてくれました。


 ところで2年前の集中豪雨の傷跡か、ポンプ小屋の手前あたりの道はおびただしい流木で覆い尽くされていたのですが、流木に混じって缶だの瓶だのペットボトルだの、大量のゴミも混じっていました。件の大雨で流木とともに流されてきたのでしょう。あまりの量のゴミは、胸を痛める光景でした。山も川もきれいに!


f:id:fukenko:20200404192722j:plain

*1:途中険しいロープ場をふたつほど上り下りします。そこはご注意を。

*2:山頂への道も開削中の模様。ただしまだ手入れされていない様子でした。