何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

ミス優子・ミスリリアに続いて

アイドル化計画のほうでは、1994年だったと思うが、イベント、グッズなどそれぞれの委員から、委員長を選出して、本格的にイベント開催やグッズ製作などの活動を始めようという話が持ち上がった。各委員長は、立候補した委員の中から、委員全員による郵便投票で選ばれた。 ……で、確かそのときわたし、「シナリオ委員長」に選ばれた記憶があるんだけど……。 委員長を選んでから間もなく、「どんぶり島通信」が休刊になってしまう。一応、雑誌(徳間書店の「Virtual Idol」だったか)の1コーナーとして活動を続けるという話だったが、結局その後、「アイドル化計画実行委員会」としての活動はなくなった。ウィンビー主演のゲームすら、とうとう発売されなかった。

http://plusd.itmedia.co.jp/games/articles/0603/23/news003.html


「『合い言葉はBee!』へ至る道のり――『ツインビー』」
IT Media +D Games 「ゲイムマンの『レトロゲームが大好きだ』」より



ツインビーPARADISE」以降、ゲーム関連ラジオ番組が、前半がおしゃべりで後半がラジオドラマという
構成ばかりになって、ドラマはいいからもっとゲームの話を聞かせろと、やきもきしたことを思い出します。
PCエンジン版「ときめきメモリアル」の発売が、確か1994年だったんですが、
アイドル化計画が挫折した一番の理由は「ときメモ」予想外のヒットだったんでないかといまだに思います。
どこのブックオフに行っても、ゲーム音楽コーナーに「もっと!ときめきメモリアル」のCDだけ
やたら数が揃っているのはどういうことだと思う荒井でした。