何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

日輪兵舎を見に行った




最近調べ物をしているついでに「日輪兵舎」なる建物が気になって、
こちらについてもあれこれ調べてみたところ、どうやらとなり町にもあることが判明し、
単車を転がして見に行ってきたのでありました。


「日輪兵舎」とは、昭和10年代、皇国思想のもと、
満州開拓を期する青少年の教育・研修施設として設けられた建物です。
直径12メートルほどのドーム状の木造建築で、その形状は「日の丸」を象徴しているのはもちろん、
「素人でも簡単迅速かつ美しく建てられる」という実用上の理由も備えています。
中は中央が吹き抜け*1になった二階建てで意外に広く、100人ぐらいは余裕で収容できるでしょう。





もとは茨城の水戸内原*2の発祥で、そこから全国に広まっていったそうですが、
特に山形は満州に移住する県民が多かったため、数々の日輪兵舎が作られました。
荒井が見てきたのはその一棟というわけですが、
少なくとも建てられたのは60年以上前のことですので現存しているものは少なく、
建築史的な意義のみならず、日本における満州移民の歴史を語る、貴重な文化遺産となっています。
とにもかくにも...よくぞ残っていてくれた!

*1:吹き抜けというか内壁に張り出しが付いているといった方が的確。

*2:「はに丸タワー」ことくれふしの里古墳公園のあるところ。ピエール瀧がチョップで大根切ってた現場です。