何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

LOST

福井教諭は昨年度、兵庫県立教育研修所で「命の大切さを実感させる教育プログラム」のとりまとめに携わった。今年、三年生百四人(三クラス)に死生観などをアンケート調査したところ、「死んだ人が生き返ることがあると思うか」という質問に、「ある」「わからない」とした児童が計三十三人いた。「命の有限性や絶対性があいまい」と感じた福井教諭は、児童に助産師の話を聞かせるなどの取り組みを始め、海外の教育プログラムを参考に、卵を使った授業を考案した。

例によって、記事と本文はあんまり関係がありません。


「死人が生き返ると思う子供が増えている」という記事では、
その原因として「ゲームとかですぐ死人が復活するからだ」ということがよく指摘されるんですが、
元祖CRPGウィザードリィ」の場合、死というのはかなり恐ろしいものでした。
もちろんHPを失ったキャラクターの蘇生は可能なんですが、
それは常に「LOST」―育てたキャラクターデータが消滅する、絶対的な「死」―の危険が伴うものでして、
蘇生ひとつでそんなに悩むくらいなら、カントの寺院やカドルトの世話になんかなりたくないというぐらい、
非常に避けたいものでありました。
他にも、テレポートに失敗したり老衰すれば即「LOST」。
この、常にプレイヤーにつきまとう「LOST」の恐怖こそが
ウィザードリィ」を「ウィザードリィ」たらしめていると言って過言ではないのですが、
それはさておき、元祖CRPGにおける「死」とは、文字どおり「亡くなる恐怖と悲しさ」に他ならず、
「ゲームとかで死が云々」という説に、時代を感じるのでありました。


それにしてもダガー・オブ・シーヴズを見つけたパーティーが、
テレポーターに引っかかって全員石の中にすっ飛ばされた時は、愕然としましたねぇ。