何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

ごめんなさい

「ごめんなさい。すみませんでした。」


言うこと自体は全く難しくはありません。にもかかわらず、なぜこの言葉が言えないのか?
荒井も大人と呼ばれる歳になって久しいのですが、
大きくなってからつとに思うのは、この言葉を言うことの難しさです。


通常、我々は子供の頃から、悪いことをしたなら素直に謝りなさいと
教えられて育ってきているはずなのですが、大人になるとそれを忘れてしまうようで、
つまらないことで意地を張ったり、つまらない言い訳をしてみたりで、
なかなかこの言葉を言い出そうとしません。
この言葉を言うためには、ある意味勇敢でなければなりません。
「ごめんなさい」の言葉の裏には自分の非を認めて反省するという判断があるわけですが、
大人になると、それに必要なわずかな勇気さえも萎えてしまうのでしょうか。


「ごめんで済むなら警察はいらない」という声もありますが、
一方でごめんで済むことを警察に任せてしまうのもどうかという気がします。