何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

「幽霊君」ワンコインクリアした

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 ゲーム自体は先日一回クリアしたものの、もうちょっとうまくクリアしたい。そんな気持ちで何度かリプレイした結果、このたび「幽霊君」をワンコイン、つまりいちどもコンティニューせずにクリアすることに成功しました。まぁ、何度かミスして残機こそ失っているのですが、ゲームオーバーにはなってません。ノーコンティニューでクリアしてやるぜ(おい)。


 達成の鍵は、またたく間に残機を減らされる中ボスの攻略でした。具体的には4面の亀ブラザーズ、6面の火車、7面の目玉野郎。特に火車は効果的な戦法がなかなか編みだせず、攻めあぐねていました。ところがバックアタックよりおちょコ玉連打のほうが効果的にダメージが与えられることがわかると、かなり安定して倒せるようになりまして、ワンコインクリアに大きく近づいたというわけです。


 ノーミスは困難でも、ワンコインクリアぐらいはできるようになりたいとは当初からおもってはいました。しかしあまりの難しさにアクションゲームが不得手な荒井にそんなことができるのかと、くじけそうになることしばしば。それでも多少はうまくなっていたようで、めげずに何度も遊んだ結果、とうとう念願を達成したのであります。まぁ、エミュレーターのステートセーブ機能で、難しいところを何度も心ゆくまで練習できるようになったことが大きいですが、斎藤学さんの墓参りに行った功徳があったのかもしれません(おい)。

荒井は懐中時計派だ

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 「四十男が支持する腕時計」というコピーが気になって見てみたら、ノーブランドの安物がずらりと並んでいたので、確かに実情を反映しているなとおもったのでありました(おい)。
 みんなというみんなが高級時計を使ってるわけではないですし、こだわっているのはひとにぎりですもんな。

ことしも懲りずに外飯はじめました

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 それで大洞寺に行った後、雪も解けたし天気もいいからと、場所を高館山に移し、ひさびさに米を炊いて昼飯としました。
 去年はほとんど外飯をやっていなかったので、まぁ腕が落ちた落ちた落ちまくり(泣)。焦げつきはしませんでしたがそのかわり、火加減に思い切りがないのと、米の吸水が不十分だったおかげで強飯になってしまいました。
 というわけでことしはもっと外で米炊いて喰おうとおもいます。

大洞寺に行ってきた

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 かねてから行こうと思っていた、大洞寺にようやく行ってきました。大洞寺は鶴岡にある曹洞宗の寺院です。なぜ荒井がそんなところに行こうとおもったのか。なぜなら、ここには斎藤学さんのお墓があるのです。


 斎藤学さんは、80年代後半に活躍したゲーム音楽家です。「ユーフォリー」「38万キロの虚空」等々、数々のシステムサコム作品に携わり、多くの名曲を遺しましたが、1992年、病気により22歳の若さで、惜しまれつつ亡くなりました。
 その彼が関わった作品のひとつが、こないだ荒井がクリアした「幽霊君」です。「幽霊君」についてあれこれ調べるうち、斎藤家の菩提寺が旧藤島町の大洞寺であり、彼の墓がわが山形県にあることがわかりまして、だったら山形のレトロゲームファンとして墓参りに行かねばと思いたち、冬が終わって天気も良くなった今の時期、とうとう行ってきたという寸法です。


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 大洞寺は旧藤島町の中心部にあります。酒田にも同じ地名がありますが、そちらではありません(おい)。彼岸の日曜日で天気もよいということで、花や水桶などを手にした墓参りの方々で賑わっていましたが、斉藤家の墓参りに来たのはどうやら荒井だけのようです。ご遺族の方々は山形から離れた土地で暮らしていらっしゃるので、ちょくちょく来られるわけでもないのでしょう。
 今の時期の庄内なので、すっかり雪は消えています。先月下見に行ったときは、まだあたりは雪だらけでした。


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 彼が眠る斉藤家の墓は、墓地の南のほうにあります。白い御影石に「斉藤家之墓」と刻まれているのでこれだろうかと墓碑を確かめてみると、「学」の名があるので、これでまちがいないようです。命日は平成4年10月1日。山形はちょうどべにばな国体で盛り上がっていた頃でしょうか。戒名は「紘学清韻居士」。やはり音楽家であることにちなんだのでしょう。
 山形に墓があるのは、斎藤家のルーツが当地にあるからのようです。お父上は少年期を山形で過ごされたとか。墓にはもうひとり、昭和14年に亡くなられた方が眠っておられます。こちらは学さんのおじいさんでしょう。「維持平成五年」の銘から察するに、古くからあった墓を、学さんの逝去にともない建て直したようです。


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 というわけで思い出の品を供えて手を合わせ、名作への感謝とお礼にと、謹んで墓掃除をしてまいりました。妙なヤツが来たと草葉の陰から思われたことでしょう。
 もし今でもご存命だったら、古代祐三さんのような大ゲーム音楽家や、クラシック音楽家になられていたのかもしれません。ことしで没後25年。今でも夭折が惜しまれます。


 藤島町は、ウド鈴木さんの出身地として全国的に有名です。その一方で、レトロゲーム好きなら、斎藤学さんが眠る土地であることも覚えておいてほしいなぁとおもうのです。鶴岡にある有名人の墓は、加藤清正公だけではなかったわけですな(おい)。

フィルターは粉々に割れました

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 そのむかし与蔵峠に行った際、木の根につまづいてすっころんで、ぶら下げていたFM3aに付けていたAi35mmF2Sを前玉から強打してしまったことがありましたが、レンズ保護フィルターのおかげで事なきを得ました。以来保護フィルターを必ず使うようになったのでした。

Microondas

 ボールペンがドイツ語では「クーゲルシュライバー」とやたらカッコよく呼ばれていることはよく知られてます。一方、スペイン語で電子レンジを表す「ミクローンダス」という単語も、トランスフォーマーみたいで負けず劣らずカッコイイと思うのです(おい)
 ついでにボールペンは「ボリグラフォ」*1

*1:Bolígrafo ペン一般はplumaとも呼ばれるようです。