何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

若さゆえの過ちという言葉を知ってるか

4月29日は昭和天皇誕生日ですが、これにまつわる思い出話を少々。


その昔、荒井がまだ場末高校の生徒だった頃のお話。
その年の運動会は4月29日に開かれたのですが、
当日は雨降りで、時折小やみになるものの
グラウンド状態はドロドロ、開催はどうだかというほどの有様でした。
それでも学校側の正式発表が出るまでは何もしようがないので、
これは延期だろうなと思いつつ、発表を待っていたところ、
なぜか学校側が下した決定は「開催」でした。
予定では「雨天順延」を謳っていたのですが。


なにぶん降ったり止んだりの天気ですから一部種目は中止、
開会式や屋内でできる種目は体育館で、グラウンドを使わなければ
できない種目だけはグラウンドを使うといった具合に
「タイニー版」で開催されたのですが、これがひどいシロモノでした。
開会式の入場パレードは肝心の入場を省略し、すでに全生徒が体育館で並んでるところで、
吹奏楽部が入場行進曲の前奏だけを演奏して終わるという中途半端さ。
他の競技も一事が万事こんな調子で、元々グラウンドでやるべきことを
強引に体育館でやっているのですから、何から何まで中途半端なものでした。


一番ひどかったのがグラウンド種目です。
その都度参加者だけが外に出て行ったのですが、天気が天気ですから、
少し走るだけでドロドロ、百足競争や二人三脚等で転んだりしたら最悪で、
バラエティ番組の罰ゲームでもやっていると言った方が的確でした。
その間他の生徒は体育館内で待機しているのですが、
待機組は外で何が起こっているか何も見えないので盛り上がりません。
そもそもその運動会自体が、もはや体育館の中で困惑しながら、
成り行きの行きつく果てを待っていたとでも言うべきで、
全く何のためにやってるんだと疑いたくなるようなものでした。


まぁ、こんな具合にその年の運動会は、荒井の生涯の中でも最低最悪のものでしたが、
呆れたのは閉会式での教頭の言葉でした。
「若さの情熱を見せつけられた、すばらしい運動会だった!」


学校中の生徒が雪崩のように押しかけて「開催しよう!」と訴えたのならまだしも、
そんな動きがあった気配はありません。
多くの生徒はただ成り行きに流され、振り回されただけです。
実際、掛けあった生徒らがいたのかもしれませんが、
だとしたら彼らがやるべきは、直訴の前に生徒の総意を確かめることでした。
「する」と「させられる」は根本的に違います。


情熱は燃やしどころを誤ると、碌なことになりません。
その燃やしどころを教えてやるのも教育の一つだと思うのですが、
場末高校にそれを求めるのは酷というものだったようです。
一番思い出に残っているのは小学校の運動会です荒井でした。