何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

浪花のモーツァルト、ウィーンのキダ・タロー

6日のアウェー・フィテッセ戦でデビューを果たしたフェイエノールトFW宮市亮(18)が7日付の地元紙で絶賛された。アルヘメーン・ダッハブラットは「“ジャパニーズ・メッシ”はフェイエノールトで楽しんでいる」と紹介。同紙は「試合を良くしようとハードワークしていた」とベーン監督が宮市の精神面を褒めたコメントも掲載した。テレグラフはチーム最高の6・5点をつけた。 フィテッセ戦では4―3―3の左FWで先発。高校在学中の18歳1カ月23日での欧州主要リーグデビューは、カターニアの森本の18歳8カ月21日を上回る日本人選手最年少記録。ドリブル突破で存在感を示した18歳は「緊張するより興奮していた」とさらり。次戦12日のホーム・ヘラクレス戦を見据えた。

 たとえば「日本のゴッホ」「日本のアンデルセン」といった具合に、傑出した才能を備えた人物事物を、世界的に有名な同様のものになぞらえて、讃辞とすることはよくあります。それは「オリジナルはもっとスゴい」という暗黙の大前提があるからこそ成り立つわけです。
 しかしそう考えると、それは必ずしも讃辞として受け取って良いのでしょうか。
 東京ビートルズは果たしてビートルズよりスゴいのかと! 下町のナポレオンはナポレオンより旨いのか!
 逆に天下無双を目指す人物に「日本の○○」などと言ったら、それは讃辞にもならないわけです。
 「世界の○○」と呼ばれる方がもっとスゴい荒井でした。