何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

目糞鼻糞

その昔上杉家が会津120万石から米沢30万石に減封された際、
農土開拓目的で周縁地域に配された下級藩士を「原方衆」と呼んでいます。
城下の藩士は彼らを、堆肥まみれで野良仕事をしているんだろということで
「糞掴み」と馬鹿にしたのですが、それに対して原方衆も黙っているはずがなく
城下の連中はいつもお粥しか喰えない腹がゆるい奴ということで、
「粥っ腹」と言い返していたのだとか。


これって今風に言い換えれば「ウンコ野郎」「ゲリベン君」という意味だよな荒井でした。