何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

青沢越えに行ってきた

ネタ撮りのため青沢越えに行ってきました。
青沢越えは真室川町の差首鍋地区と旧八幡町の中心部を結ぶ峠で、
板敷越えと並び、古くから最上と庄内をつなぐ数少ない交通路として使われてきました。
現在は国道344号線として整備されており、車で越せるようになっています。
ここしばらく足でしか行けない峠ばかり廻っていたもんだから、いやはや気が楽。
峠を含め、DJEBELであれこれと周辺の史跡など廻ってきたのでした。





最初に行ったのは、峠からはだいぶ離れた真室川の入口にある鮭延城址です。
戦国時代、仙北地方を支配した小野寺氏に仕えた佐々木氏が設けた山城で、
戸沢氏が沼田城を作るまで使われていました。
佐々木氏は鮭延氏と名を変え、やがて最上義光の軍門に下るのですが、
最上氏配下となった武将鮭延越前守秀綱がここを根拠地として、
数々の合戦で大活躍をしたことがよく知られています。
城はちょうど新庄や庄内に対して睨みが利かせられる場所にあり、
峠の歴史を知る上では欠かせない場所となっています。
今回はじめて行ったのですが、城址からの眺めはちょっとしたものです。


そこから真室川の中心部に出て、国道344号線に乗り換えると、
峠までの長い道のりが始まります。
秋山にあるラーメン屋「大吉」で腹ごしらえをしてからは、峠目指してひたすら走ります。
その途中にも、砂子沢楯や差首鍋楯といった城跡が残っていまして、
峠がどういう場所だったかを物語っているのでした。





本格的な登りは、高坂ダムへの入口から始まります。
一昔前までは冬季通行止めになるような道だったのですが、
近年改修が進み、2002年頃からは一応通年通行が可能となりました。
それでもやっぱりカーブが多かったり急なのは相変わらずで、
多くの一般人にしてみれば「酷道」の部類に入るかもしれません。
法面に大量に設けられた雪崩防護壁も、この道がどういう道であるかを物語っていました。





トンネルで庄内側に出ると、大俣川に沿って八幡町の中心部まで下っていきます。
庄内側は平成になってから特に改修が進みまして、
幅の広い橋や新しいトンネルで、蛇行する渓谷を貫くように道が走っています。
そのトンネルの脇や橋から、渓谷に沿う旧い道が見えたりするのですが、
どれもだいぶ廃道化が進み、すっかり草に埋もれていました。
このあたりは青沢渓谷と呼ばれ、険しい一方景観にも恵まれています。
道端でふと小さな滝を見てみれば、滝の飛沫が西日を浴びて、虹を作っていました。





八幡町の中心部には、町名の由来になったであろう八幡神社があります。
平安時代、蝦夷平定のために設けられたという由緒のある神社で、
さらに昔には、このあたりを基準に条里制の田んぼが作られていたとか。
近くには「ゆりんこ」という立ち寄り湯がありまして、こちらにも入ってきました。
日本一周に先だってやった山形一周第一夜で一日目の終わりに入ったという、
自分にとっては思い出深い温泉です。あれからかれこれ5年ぶりの再訪でした。





最後に見てきたのは城輪柵です。その昔、羽前の国府が置かれていたという史跡で、
現在は一部の城門などが復元されています。
朝廷はこうした柵を作りながら、蝦夷の地東北に進出していったわけです。


峠自体は何度も通ったことがあるのですが、改めて見て廻ると、
やはり新しい発見があるものです。
おそらく峠は、鳥海山や丁山地の迂回路として始まったのでしょう。
峠を越えて国道344号線を東に進んだ金山に「薬師山」や古志神社があることを考えると、
もしかして、古代には越族がこの峠を通ったのではないかという気もします。
南から徐々に北に進出するにあたり、鳥海山や丁山地を迂回できる場所を探して
大俣川に沿って鳥海山麓を東に進むうち、この峠道を「発見」したのではないか...
まぁ、このあたりは全く荒井の憶測ですが、こうした想像を巡らせるのも、
峠巡りの楽しいところであります。