何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

雄勝峠も行ってきた




昨日の万世大路でくたびれたのと、それと今日は雑用が色々あって、
峠に行くのは休もうかと思ったんですが、気が付いたら雄勝峠に足が向いてました。
昨日は山形の南の入口として作られた峠を見てきましたが、今日は北の入口となった峠を見てきたわけです。


雄勝峠は真室川町と秋田県旧雄勝町こと湯沢市の間にある県境の峠で、
その歴史は江戸時代の初め、秋田の佐竹氏が江戸との連絡道として整備したことに始まります。
以来、峠は羽州街道の要所となりまして、現在も国道13号線奥羽本線はトンネルでこの峠を通っています。
今回行ってきたのは、現在の道路の前の前に使われていた古道で、
毎度おなじみ土木県令三島通庸が明治初期に整備したものです。


峠は北に面した袋小路の谷筋にありまして、道はその谷筋に折りたたまれるようにして切られてありました。
常に行く先の様子が見えるため、地形的には非常にわかりやすく迷う心配も少ないのですが、
そのかわり薮と倒木だらけなのはもちろん、旧道開通にともなって古道が分断された場所と、
大規模な土砂崩れで埋もれた場所がありまして、急な坂を登ったり下りたり、
土砂の上をかろうじて歩いたりと、冷や汗ものの道中でありました。
目的地は目の前に見えてるのに、そこへ行くためには数々の難所を乗り越えなければならず、
ハイドライド」や「トリトーン」か、または「ドンキーコング」のような、
二昔前のアクティヴRPGか一画面アクションゲームを彷彿させるような展開です。


さておき、1時間ほどの登りの末鞍部にたどり着きますと、巨大な切り通しが現れます。
切り通しのそのものは、「山行が」さんの記事や、書籍の写真などで見たことがあるのですが、
さすがに現物を目の前にすると、感慨もひとしおでした。
こちらもそのうち県民ケンちゃんで採り上げる予定ですので、気長にどうぞ。