何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

赤いK急は通っていない


もう一つ、三崎峠は山形と秋田の県境にある海沿いの峠です。
現在は国道7号線で難なく通れてしまうのですが、これの旧道がまたまた難所中の難所だったと伝わる道でした。
三崎は鳥海山の溶岩が日本海に流れ込んでできた岬でして、あたりは溶岩由来の赤茶けた岩が目立ちます。
かつての道はその岩の隙を縫うようにして通っており、見るからに非常な難所となっていました。
あの松尾芭蕉も象潟に行く時に往復したとということで、あたりは公園として整備され、
古道は遊歩道として、今でもその道筋をたどれるようになっています。
この古道の他に、もうひとつ、三島通庸が明治期に開削した旧道が残っています。
こちらは近くに採石場があるせいか、往時の面影はあまり残っていないのですが、
それでも道の片隅には当時の開通記念碑がひっそりと建っていまして、
確かにこの道が三島道路であることを物語っていたのでした。
峠は戊辰戦争の激戦地でして、それゆえ、三島はこの峠の改修を重視したという話も残ります。


...戊辰戦争の慰霊碑と豊間源之進の墓を見そびれました。
また行けということなのか(泣)