何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

いざというとき

 そのむかし、ある大型店でエスカレーターに乗っていたときのこと。
 そのエスカレーターは買い物用カートも載せられる大きなもので、利用客はたいがいカートと一緒に乗ってるんですが、荒井の目の前に乗っていた親子連れも、カートと一緒に乗っていたのでありました。
 子供さんはまだ年端もいかないおさなごでした。通常ならカートに付いてるシートに乗っているような歳ながら、自分の足でエスカレーターに乗りたかったらしく、カートの前に立っていたのでありました。


 エスカレーターの降り口に近づいた頃、目の前で事件は起こりました。子供さんがエスカレーターからうまく降りられず―まだ小さいから降りるタイミングがうまく計れなかったわけで―転倒してしまったのです。
 エスカレーターは止まりません。すぐ後ろからはカートが迫ります。子供さんは転んだままわけもわからずおろおろするばかり。このままでは押し潰されてしまいます。目の前で起きた不慮の事態。咄嗟に荒井は後ろから必死にカートを押さえつけ、降り口にいたお店の方も急いで子供さんを引っ張り上げ、なんとか事なきを得たのでありました。


 しかしその直後に荒井は気づきました。よく見たら降り口の手を伸ばせばすぐ届くところにエスカレーターの「緊急停止」のボタンがあったのです。これを押せば、それだけでもっとスマートかつ確実に救助できたはずでした。それなのに荒井も店員さんも親御さんも、誰一人としてこのボタンを押していません。どうしてコレを押さなかったんだ、押せなかったんだ、と。


 おそらくあの時は誰もが慌てて、緊急停止ボタンの存在を忘れていたか、おもいだせなかったのか、見えていなかったのだとおもいます。
 緊急手段が目の前にいつでも使えるように準備されてあるかということと、果たしてそれを適切に使えるかは別問題です。いざというときに緊急手段を使うためには、それなりの心の備えというやつが必要なのでした。