何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

永松を語る会に参加してきた

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 肘折で開催された「永松を語る会」に参加してきました。まぁ、自分も関わっている団体主催の行事なので、会場の設営や運営等々をやってきたというべきなんですが(おい)。
 永松銅山は拙サイトや当blogで何度か採りあげていますが、かつて葉山山中に存在した、日本屈指の規模の大鉱山です。趣旨は永松銅山の歴史を語り伝えること。今年は熱心な聴衆の方々の参加が目立ちました。


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 今年の主な内容は山形でも高名な郷土史家・大友義助先生による講演と、永松出身者・鬼海進さんによる永松の暮らしにまつわるお話。大友先生の講演では永松銅山が永年にわたり地元大蔵村や新庄戸沢藩に及ぼした多大な経済効果が紹介され、鬼海さんのお話では永松の子供たちが夢中になった遊びやスポーツ、少年期のエピソードなどが語られました。


 鬼海さんの父上はカメラ好きで*1、仕事の傍ら、永松の様子を積極的に写真に収めていました。それが現在では貴重な記録となりました。
 形のあるなしにかかわらず、ものごとというものは残そうと努力しなければ残るものではありません。世間にあるものは絶えず忘却や消滅の危機に瀕していて、「あえて」残そうとしなければ残らないものが大半です。諸行無常というのは残酷な真実です。
 この永松銅山も、かつてそれなりに繁栄し、地元経済に大きな貢献をしたにもかかわらず、閉山から100年も経っていないのに、もはや地元でさえ忘れかけられているという有様です。


 思い入れのあるものが忘れ去られるのはあまりに悲しいことですし、文化的な喪失であります。語り継ぐという活動は、いわば忘却との戦いではないかとさえ思うのであります。
 荒井が誰も見向きもしないようなレトロゲームを紹介したり、観光名所とはほど遠い峠巡りをするサイトを運営しているのは、忘却に対するささやかな抵抗であります。

*1:なんでもローライフレックスを使っていたらしいです。