何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

久々に十部一峠を走ってきた

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 国道458号線十部一峠がようやく通れるようになるという情報を仕入れたので、さっそく走りに行ってきました。
 2012年は通り抜けできたものの、その後自然災害による土砂崩れや侵食のため肘折側の道路が被害を受け、通行不可という状況が2013年より続いていました。もちろん通り抜けは不可。国道458号線愛好家を自任する荒井(おい)、被害状況や工事箇所、未舗装区間の様子が大いに気になるにもかかわらず、ここ2年は自分の目で確認することもできず、大いに心配していたのでありました。
 情報によれば再開通は6月26日。しかも運良くその日仕事が休みときていれば、走りに行くしかありません。


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 こないだ肘折に来たのが5月はじめのこと。そのときそこかしこに残っていた雪もおおくら君もとうに消え去り、温泉街には今年の「ひじおりの灯」や「四ヶ村の棚田コンサート」のポスターがそこかしこに貼られ、初夏のよそおいです。走りに行く前に銅山川沿いをぶらぶらと歩き、上ノ湯の湯に浸かります。今日は空いているらしく上の湯はほぼ貸し切り状態。ゆうゆうと温泉に入ってから、峠を目指そうとしたわけですが。


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 なんと未開通。入り口はまだバリケードで封鎖されてました。「今日開通じゃないのかよ!」。十部一峠も永松も、この川とつながっているのに。温泉街に流れる銅山川が、うらめしく見えたのでありました。
 ところが腹ごしらえのため、温泉街のおそば屋寿屋さんののれんをくぐると、若旦那さんから「今日の3時に開通ですよ。」との情報が。ならば確実に通り抜けできるぞと気を取り直しました。早坂さん情報提供ありがとうございます。冷たい山菜そばどうもごちそうさまでした(笑)。


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その後近隣の散策路を歩き回ったり、地蔵倉に行ったり、いでゆ館の肉ちまき*1を食べたりしながら時間を潰します。肘折のよいところは、歩いて楽しめる場所に恵まれていること。銀山、小野川、湯田川等々、山形には町歩きが楽しめる温泉街がいくつもありますが、中でも自然の豊かさや、そこに住んでいる人々の暮らしが間近に見えるという点で、肘折の面白さはトップクラスでしょう。気付けば今日は、3時間ほど温泉街をぶらついてました。


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 時間を潰してから再び峠口に向かうとさきほどのバリケードはわきに寄せられ、先に進めるようになっていました。冬季通行止めゲートの前には、道路関係者とおぼしき方々の車と開通を待つ車が並び、開門を今か今かと待ち受けています。中には石川や愛知から走りに来たという方も。道路マニアの間では、国道458号線は全国区の知名度を誇ります。山形県民はいま一度、この道が蔵王エコーラインや鳥海ブルーラインに匹敵する道であることを思い知らなければいけません。
 そして午後3時。ここ2年閉まりっぱなしだったゲートが開き、いよいよ通り抜けが再開したのでありました。


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 荒井が気になるのはなんといっても、未舗装区間の状況です。肘折に近い側はそれほど自然災害の影響が見られませんでしたが、そのかわり、道路の舗装はかなり進んでいました。平滑なアスファルト舗装ではなく、路面に小石や砂利が散らばっているような簡易舗装ではありますが、以前のようなダートは少なくなりました。具体的には肘折から2キロ地点から上葛掛沢コンクリート工までに至る区間のダートは、ほぼ簡易舗装されているような状態です。路肩に舗装用の砂利が大量に積み上げられているところもありましたので、舗装化はさらに進められる様子です。


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 道路は随所が傷んでいたようで、進むにつれ補修箇所がいくつも現れました。中でももっともダメージが大きかったのは、荒見山西方で祓川と併走するあたり、旧大師峠入り口手前の中小屋沢合流点付近の区間でしょう。川が暴れて周囲が大きく崩れたようで、路肩がコンクリートで大規模に固められていました。祓川も大きくえぐれたらしく、土砂やごろりとした岩が目立ちます。確かにこの規模の土砂崩れなら、2年も通れなくなっていたのも無理はありません。
 話によると、どうやらこの工事箇所の視察のため、大蔵村の村長が来ていたようです。途中、酷道には似つかわしくないクラウンが走っているのを見ましたが、どうやら村長の車だったようです。


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 十部一峠の真骨頂、新大師峠を過ぎた後の区間は、幸いなことに以前とあまり変わりがありません。それほど被害を受けなかったようで、ダート区間も健在なのにほっとします。道中には作業員が何人もくりだして、エンジン式の草刈り器で道路の草を刈っていました。こんな深山での作業も大変なことでしょう。ダートとはいえこの道が、一般国道であることを思いだしたのでありました。


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 峠に近づくとやがて月山が間近に見えてくるはずなのですが、下り坂の空模様ゆえ、すそ野が少し見えるだけです。永松展望地からの眺めもすっかりくすんでいました。
 この展望地から望める谷の底には、永松銅山がありました。日本有数の銅山として繁栄し、3000人もの人が暮らしていたのも今は昔。往時の建物は失われ、わずかな遺構も草の下。偲べるよすがはあまりに少なく、さらに容易に行ける場所にはありません。この展望地は、現在、もっとも手軽に行ける、永松に最も近い場所です(それでさえ半年以上は雪に閉ざされ、さらに自然災害等で容易に行けなくなってしまうのだ!)。
 つらいことももちろん多かったでしょう。それでも永松に生まれ育った人々は、永松での暮らしを楽しそうに語ってくれます。学校の思い出、大自然での遊び、四季の祭や催し、冬の厳しさ、鉱山の日常等々...失われて久しいにもかかわらず、故郷を想う気持ちの強さは変わりありません。
 ここから永松に生まれ育った人々が失われた故郷を偲ぶ姿は、何度となく見ています。永松を故郷としない荒井でさえ、ここから永松を眺めるたびに不思議な感慨を覚えるのは、確かにそこにあった人の営みや泣き笑い、時を経ても変わらない想いの強さに、感じ入るものを覚えるからなのでしょう。
 永松林道はあいかわらず通行止めが続いています。バリケードで閉鎖されているばかりか、入り口付近には大きな倒木までもが現れ、ますます行きづらいという状況になっていました。実際に道が崩れているのも一因でしょうが、数年前まだ通れた頃、釣り客の車が転落して人が死んだという事故があったゆえ、再開通に慎重になっているものと思われます。いずれにせよ遠くない将来、また気軽に永松鉱山跡に行ける日が来ることを願うばかりです。


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 開通初日、比較的遅い午後3時に通行止めが解除されたにもかわらず、通行車両はそこそこ見かけました。写真を撮ったり様子を見るために荒井が車を停めているうちにも、後続車両が何台も通過していきました。
 中にはこの酷道を走るべく、通行止め解除を心待ちにしていた道路マニアの方もいらっしゃいます。同好の士として通じるものがあるのか、走っていると道中同じところで停まって何度となく顔を合わせるものですから打ち解けるのは早いです。十部一峠に車を停め、やたら多い蚊を手で追い払いつつ、酷道険道談義に花を咲かせましたが、実に楽しいひとときでした。ながらさん、おかさん、どうもおせわさまでした。
 改めて申し上げますが、山形県国道458号線十部一峠が、エコーラインやブルーライン並みに人を惹きつける道であることを、もっと自覚するべきでしょう。最後のダート国道は、山形県のみならず、日本道路界の至宝です。


 ところで今回の十部一峠開通は期間限定で、通り抜けできるのは7月12日までの予定です。その後は災害復旧工事で再びしばらく通行止めとなるとのことですので、通り抜けたいならおはやめに。
 

*1:安いのにけっこう旨いです