何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

いもこ列車に乗ってきた

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河北町でいもこ列車に乗ってきました。
いもこ列車とは、その昔河北町谷地と東根市神町を結んでいた山形初の私鉄、谷地軌道を走っていた狭軌蒸気機関車の愛称です。
保存されている機関車は町を走っていた現物ではなく、かつて台湾の砂糖工場で使われていた車両。30年近く前、町おこしのため列車の復活を志した地元青年会議所が購入し、町に寄贈されたものです。
車両は河北中央公園にて動態保存されています。乗車会は夏場に月一度の間隔で、定期的に開かれているのですが、ここしばらく老朽箇所の補修のため、運休してました。それがこのたび修理が終わって運行を再開したというので、それに行ってきたというわけです。四十間近のおじちゃん一人で(おい)。


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乗りに来てるのは、小学校入学前の子供さんを連れた家族の方が大半です。乗車会は好評なようで、ざっと百数十人が順番待ちの行列を作ってました。
意外なのは男の子のみならず、女の子がけっこう多いこと。しかもけっこうおもしろがってます。発車の合図に汽笛を鳴らすのですが、大きい音量にびっくりして泣き出していたのは男の子でした*1
一回の乗車人数は約15人。汽車は100メートルほどの距離を一往復するだけですので、待ち人数の割に、順番は早めに回ってきます。
乗るのは車両後部のオープンデッキ。見た目に比して、乗ってみるとけっこうスピード感があって、年甲斐もなくおもしろがってしまいましたぜ。
スタッフさんが給水やバルブの調節、蒸気の出具合の確認などしている様を見ると、機関車とは精巧なからくり機械なんだなと思います。このあたりは機械式時計や写真機に通じるものがありますかね。


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谷地軌道が営業していたのは大正時代の中頃から昭和はじめのおよそ20年ほど。今から80年以上前のことです。それが今でも語り継がれているのは、それが谷地が活気にあふれていた頃の記憶をとどめるものだからなのでしょう。

*1:その後ぼ焼きを買いに行ったまるぼ製麺所でも、汽笛が聞こえました。谷地中に響き渡ります。