何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

出羽富士と富士は別の山です

先日「ゲイシャ・フジヤマ・ハラキリ」に対する自戒云々という話をしましたが、
思えばそういう認識をするに至ったのは、
いわゆる「日本文化」というものへの違和感があったからなのかもしれません。


よく「富士は日本一の山」みたいなことが言われますが、
正直、荒井はそう言われてもピンと来ません。
理由は簡単。荒井が住む東北地方から富士山は見えないから。
世に紹介される「日本的なもの」は、どうも最大公約数的というか、
暮らしに根付いたものでないように思われ、
そこに違和感を感じてしまうというわけです。
毎日スシテンプラ喰ってるわけじゃねぇぞ、
むしろおにぎりや漬け物の方がなじみが深いぞと。
本当に日本的なものを知りたかったら凡百のガイドブックを漁るより、
一冊のE.Sモースや宮本常一でも読んだ方がいいとさえ思います。


「日本文化」と呼ばれるものの多くは、関西か関東、
ありていに言えば近畿と江戸を中心に据えているような気がします。
それら国から遙かに遠い、かつての蝦夷地東北に生まれ育った身としては、
「辺境の地」にもそれに負けないぐらい豊かな文化があるんだ、
一見なんでもないところ、見えるものの奥に隠れてなかなか見えない部分にこそ、
見逃せないものがあるんだと主張したいわけです。