何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

霞城とはそういう意味です

山形市内が濃霧に包まれた19日朝、同市小姓町の会社役員荒井安雄さん(62)が、霞城セントラルビル(同市城南町1丁目)の24階から、霧に映るビルの影を撮影した。  荒井さんは最近、同ビルから美しい景色や珍しい風景を撮影している。この朝は午前6時半ごろ、市街地が霧に覆われている様子を見て「何か撮影できるかな」と霞城セントラルに上ったという。  到着時、ビル周辺の霧はまだ薄く、24階からは霧をスクリーンに陽光がビルの大きな影をつくっていた。しかし1分もしないうちに濃霧がビルを包み込み、影は見えなくなったという。荒井さんは「初めて見る光景に驚いた」と話した。

もともとあのへん、山形駅の界隈がまさに「霞城」と呼ばれたゆえんでして。
その昔斯波兼頼公が入部した際、城を建てる場所を見つくろうと
家来を千歳山に登らせて地勢を探らせたところ、
霧がかかってあの辺だけ見えなかったから「霞城」と呼ばれるようになったとか、
長谷堂の合戦で、直江兼続が門伝の小高い丘から敵情を探ろうと
城の方を見やったたところ、霧のおかげで十日間何も見えなかったとか*1
そうした逸話があれこれ伝わっています。

*1:十日にわたって物見した山だから「富神山」なんだそうな。