何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

桧原湖まで行ってきた




去年の教訓を踏まえ、一年ぶりに檜原峠に行ってきました。
目的は薮に埋もれないうちに鞍部周辺の様子を写真に収めることと、
去年廻れなかった周辺の史跡の探索。
それと白布峠こと西吾妻スカイバレーも走ってきて、
ついでに白布大滝も見てこようという、非常に欲張りな日程です。
ちなみに今回の足はDJEBEL200でなくてパジェロミニ。軟弱ですな。


去年と同じく、船坂峠と綱木峠を経由して、鷹ノ巣林道の途中にある檜原峠の入口に向かいます。
檜原峠・綱木峠・船坂峠・米沢城は、ほぼ一直線上にありまして、
現在でも、上杉城趾苑の前の道をひたすら南に突き進めば、
そのまま檜原峠の近くまで行けてしまったりします。
こんなところからも、旧街道がどういう道であったか判ることでしょう。






一歩檜原峠の古道に踏み込んで、非常に驚きました。
なんと去年あれほど荒井を悩ませた薮がすっかり消えていたのです。
薮に埋もれていた入口付近もすっかりきれいに片付けられ、
「旧米沢街道檜原峠別」の標柱も、こころなしか誇らしげです。
どうやら最近大規模に薮や柴が苅り払われたようで、
道跡を追うのに苦労しないのはもちろん、気軽にトレッキングが楽しめる道として、
峠は生まれ変わっていました。往年の街道はまさにこんな姿だったのでしょう。





檜原峠は長谷堂合戦の沙汰で上杉藩が会津を取り上げられた際、
上杉景勝を初めとする藩士らがここから米沢入りを果たしたという道でもあります。
おそらくは「天地人」をきっかけに、その歴史的価値が見直され、峠は復活を遂げたのでしょう。
峠が裏磐梯の古くて新しい名所として、再び末永く人々に愛されることを願ってやみません。





次なる目的地は桧原湖畔の歴史館です。
旧い検断屋敷を移転・改築した歴史資料館で、
米沢街道の歴史や沿線の人々の暮らし等にまつわる展示が見られます。
展示もさることながら、併設の食事処「Sio-Ya」の「山塩ラーメン」が気になったので食べてみました。
お店の方によれば上塩原村特産の山塩を使ったというラーメンで、
ただいま村の新名物として売り出し中なのだとか。
このあたりは「塩原」だの「熱塩加納」だの、「塩」の付く地名が多いのですが、
それはかつて温泉を利用した塩作りが盛んだったことにちなみます。
山塩ラーメンは味が非常にまろやかで、シンプルながら飽きの来ない味でした。
特に塩が売りだけに、一滴残さず平らげられるほどスープが旨いです。





もう一つ、見ておきたかったものがありました。湖底に沈んだ旧檜原宿の痕跡です。
桧原湖は明治期の磐梯山大噴火によってできた湖ですが、
その際宿場町が一つ水没し、地上からその姿を消しています。
ところが高台にあった神社は唯一残り、その鳥居が水没しているのが見られるのです。


7年ほど前、日本一周の際に桧原湖を訪れてはいるのですが、
その時は走り廻るのに夢中で、肝心の磐梯山をとっくり見た記憶がありません。
今こうしてパジェロミニを転がし、湖の向こうの双耳峰を眺めると、改めて様々なことが見えてきます。
自然の偉大さ、人間の営み、道の歴史等々...
知れば知るほど様々なことに目が向き興味が湧いてきます。
それを確かめるため自分は旅を続けるわけです。






眼下の絶景を楽しみつつ西吾妻スカイバレーを抜けると、白布温泉にたどり着きます。
「日帰り入浴お気軽にどうぞ」の看板に惹かれ、
滝を見物する前に西屋で一風呂浴びていくことにしました。
ここの風呂は湯口が打たせ湯兼用になっているのですが、湯量豊富なようで、
三本の滝湯がドボドボ湯舟に流れ落ち、お湯が湯舟から激しく溢れ出る様には度肝を抜かれました。
ちなみに泉質はカルシウム硫酸塩線で、血行をよくすることでよく温まるという温泉です。