何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

続・黒沢峠に行ってきた




というわけで、昨日行ってきた黒沢峠の話の続きです。
黒沢峠は小国町の黒沢と市野々を結ぶ峠で、
諏訪峠・宇津峠などと並ぶ、越後街道十三峠の一つです。
明治期の新道や米坂線の開通によって長らく衰退していたのですが、
30年ほど前に県による歴史の道調査の手が入った際
多数の石畳が発掘されたことをきっかけに歴史街道として整備され、
その後の十三峠再発見の嚆矢となっています。
古い石畳が残っているということは荒井も知ってまして、
ながらく歩いてみたいと思っていたのですが、
ようやく機会を作って行ってきたというわけです。


峠に行く前に以前行きそびれた
古四王神社と大滝温泉を軽く見物してきたのですが、
温泉は峠に行った後にするべきでした(泣)





黒沢峠は小国の新名所で、しかも夏休み初日の日曜でしたから、
結構人がいるかと思いきや、この日は人が来ている気配がありませんでした。
峠口に自動車や単車のたぐいは一つも停まっておらず、
あたりはやたら静まりかえっています。
有名とはいえ、やはりこんな夏の日に好きこのんで
峠歩きをする奴は、なかなかいない模様です。





石畳は全部で2200段ほどありまして、
峠口すぐのところから始まり、途中何箇所かで途切れつつも、
鞍部を越えてしばらく下ったところまでずっと路面に敷き詰められています。
これだけの石を用意して敷き詰めるのは、さぞ大変なことだったでしょう。
この大事業を手がけたのは置賜の豪商らで、その目的は青苧の流通を確保することでした。
青苧はちぢみ織の材料で、特に越後の名産地小千谷では大量に必要としました。
小千谷では青苧を米沢より買い入れていたのですが、
幕末になると経済発展により生産量が増え、さらに大量の青苧が必要となりました。
ところがその通り道となる十三峠は難所が続くおかげで物流が滞りがちで、
小千谷の人々は青苧がなかなか届かないことに困っていました。
こうなれば青苧を商う置賜商人にとっては死活問題です。
そこで物流をよくしようと峠道の改修を試み、黒沢峠の石畳ができたというわけです。


見る分には情緒のある石畳ですが、実際に歩くとなると、
幾度も表面の苔でつるつる滑ったり、段差に足を取られます。
むしろ石段の脇の路肩の方が歩きやすいようで、
そちらの方を歩く方が多かったのか、路肩には踏み跡が残っていました。
ちなみにこの道、同じ理由で牛馬が通るのも難儀したそうです。





峠口からゆっくり歩いて1時間ほどで、鞍部に到着です。
距離はそう長くなく、結構整備されている道ではありますが、
勾配が結構急な上、石段が思う以上に歩きづらいので、登るのは結構疲れます。
さらにここから25分ほど下ると、市野々側に降りられるのですが、
こちらが往路以上に急な下りが続く他、荒れた場所もありまして、
意外に難易度が高めです。
整備された古道とはいえ、やはり峠は往時の難所でした。