何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

宇津峠に行ってきた




今日は十部一峠に行こうと思ったのですが、
まだ冬期通行止めが解除されていないということで、
宇津峠に行ってきました。


宇津峠は飯豊町と小国町の境にある峠でして、
古くは米沢と越後を結んだ越後街道「十三峠」の一つに数えられています。
現在は国道113号線の新しいトンネルであっという間に通り抜けられるのですが、
かつてはその峻険さと冬の厳しさゆえ、十三峠最大の難所として恐れられていました。
それはこの峠が最上川水系と横川水系の分水嶺であることに、端的に表れています。





険しいにもかかわらず要路であるため、峠には古くから人の手が入ってきました。
その代表例は、なんといっても初代山形県令三島通庸による改修でしょう。
三島の事業は古道好きにはお馴染みですが、それはここ十三峠も同じでして、
その痕跡が今でも周囲に残っています。
峠の西の弁当沢付近には、岩盤をアーケードのように削った道「片洞門」や
旧い橋の跡などが固まって存在してまして、峠の前にまずはこちらを見物してきました。


弁当沢界隈は非常に険しい地形が続き、横川支流の明沢川(みょうざわがわ)も、
ここでは断崖切り立つ深い峡谷となります。
そのおかげで十三峠はこの手前で南の白子沢に向かい、
この峡谷地帯を迂回しているのですが、三島は迂回することなく、
最短ルートで道を造ってしまいました。その所産がこの片洞門というわけです。
こんなところに新道を通してしまうあたりは、
さすが「鬼県令」の面目躍如といったところでしょうか。





片洞門に三島の執念を感じたところで、いよいよ峠へと向かいます。
峠の古道は、永年放置され薮も伸び放題という有様が続いていたのですが、
近年十三峠の歴史的価値の再発見が進むにともない、徐々に整備され、
現在では気軽にトレッキングが楽しめるほどになっています。
今回荒井が歩いてきたのは、その整備された古道で、三島通庸の道を基本に、
ところどころ復活した旧街道を経由して鞍部に向かうというものです。





途中には雪崩防止柵などもあったりします。
峠は「ワス」こと雪崩の巣でもありまして、江戸時代にはこのおかげで、
旅人はしばしば足止めを食らったと伝わります。
現存する雪崩防止柵は、おそらく旧トンネル建設に伴い設けられたものでしょう。
峠は標高500m足らずとそう高くはないのですが、水系を分ける分水嶺です。
雪雲はこの急峻な峠を越える際、たっぷりと雪を落としていくのだとか。
宇津峠は冬将軍でさえ難儀するというわけです。





鞍部付近には旧い石碑がいくつか立っています。
交通の安全を祈願しただろう馬頭観音碑に宇津大明神碑、道普請記念碑。
こちらも永らく埋もれていたものを、近年きれいに整えたもののようです。
峠を歩いて感じたのは、その整備のすばらしさです。
何から何まで新造して舗装してピカピカに、という質のものではありません。
必要最小限の苅り払いと路面処理、浮かず埋もれずの道標等々、
歩くに必要な程度だけ手が入れられ、おせっかいな設備がないのです。
ですから雰囲気を損なうことなく、思う存分に旧街道や三島の道が楽しめます。
この日も小国町からの一団が峠を訪れ、多くの方々が峠歩きを楽しんでいました。





小国側は自動車でも通行可能な未舗装路です。
鞍部を越えればこれをだらだらと下るだけなのですが、
最後の最後に国道113号線の旧道区間と旧トンネルが現れ目を奪われます。
現在の国道は1992年に完成した新宇津トンネルで峠を越えるのですが、
それ以前に使われていた旧トンネルが残っていることがよく知られています。
旧トンネルは1967年に完成したのですが、開通後わずか26年ほどで放棄されています。
トンネルに接続する宇津橋の欄干はすでに朽ちて沢に落ち、
手前に立つ電光掲示板は今や藤の蔦に絡まれ、藤棚と化していました。


まじめに歩けば1時間少々で越えられる道ですが、
この峠には旧街道、古道、旧道、新道といった数々の道筋が交錯し、
各時代を飛び越えながら俯瞰できる面白さがあります。
再発見された宇津峠は、末永く山形の宝となることでしょう。


それと最後に。名前を訊くのを忘れてしまいましたが、
宇津トンネル出口から落合橋まで車で送ってくれた旅の方に感謝申し上げます。