何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

有屋峠に行ってきた




ただいま勝手に最上地方の峠強化月間ということで、有屋峠に行ってきました。
有屋峠は最上と雄勝を結ぶ旧い峠で、その昔は蝦夷平定に来た大野東人の軍勢や、
小野寺氏と国盗り合戦を演じた最上義光
戊辰戦争の官軍などなど、戦いの歴史に彩られています。
かつては羽州街道として主要道の座にあったのですが、
江戸時代初期に雄勝峠ができたため、古道となって現在に至ります。
律令制の昔からある峠ではありますが、神室連峰の登山道の一部となっているため、
それなりに手は入れられており、現在でも歩いて越せるようになっています。
途中、登山口を間違えて神室山に行きかけるという失敗こそしましたが、
なんとか無事に行って戻ってくることができました。
峠へは金山町の神室ダムの奥、水晶森登山口から登っていくのですが、
行程は前半の黒森沢遡行と、後半の尾根登りに分かれます。


前半も大変な道のりでしたが、尾根登りが半端ではありませんでした。
後半では、「二股」と呼ばれる場所から、沢に挟まれた尾根に沿って、
黒森と水晶森の間の鞍部目指して、ひたすら登っていくのですが、
この尾根道というやつが1キロほどの距離で高低差430mを一気に登るというもので、
背の上まで見上げるような急坂が、鞍部まで延々と続きます。
九十九折りなんてものはなく、ひたすらまっすぐ登っていくという漢仕様。
こちらも亀割峠で学習して、それなりに対策を練っていったのではありますが、
もう笑うしかありませんでした(ついでに下りはもっと大変です)。
東人や義光の軍団は、こんなところをどうやって登ったのでしょう?
なるほど、佐竹の殿様が代替路を造りたくもなるわけです。
古代の峠には谷筋ではなく、尾根を直登するものが多いのですが、
有屋峠が旧い峠である証拠であるとも言えます。


水晶森まで登ったところで来た道を引き返し、ふもとにある
シェーネスハイム金山の温泉でさっぱりしたところで、家に戻ってきました。
峠自体は何があるというわけでもないのですが、
その周辺からは、遠くにふもとの様子を伺うことができます。
特に秋の宮や雄勝町の光景は、ここが確かに峠であることを感じさせるものでした。
今度は秋の宮から登ってみましょうかね。