何とか庵日誌

本名荒井が毒にも薬にもならないことを書きつづるところ

荒井が機械式写真機にこだわる理由

デジカメ全盛のご時世に、荒井がFM3Aだのローライ35だの、銀塩フィルム使用で自動化も進んでいない、
端から見れば不便な機械式写真機を、主力機材としてネタ撮り用に導入したのには、何かと思うところがあったからです。


機械式写真機の長所として「電池がなくても動く」というのが挙げられますが、
全国的にどこでも容易に電池が手に入れられる昨今、別に優位性でもなんでもありません。
ネタ撮り用として使うなら、露出決定から合焦まで、なんでも自動でやってくれるカメラの方がよほど効率的です。
でもそこで、あえて何から何まで自分でやらなければならない、しくじる可能性だって大きい写真機を導入したのは、
カッコイイからというのが一番でかい理由なんですが、ものが写ることへの感動や驚きを忘れたくないというのがあります。


畢竟電気を使わずとも、感光剤とレンズとシャッターを備えた暗箱さえあれば写真は写せます。現に昔はそうでした。
そのかわり、光を読む能力、距離を見極める能力、露出を決める能力といったものが必要になります。
失敗の可能性は高いのですが、素朴な暗箱を操り光と相談しつつ、自分の勘を心配しつつ、予期したとおりに写った時、
我々の先人はどう思ったことでしょう。「ちゃんと写ったぞ!」と大喜びしたに違いありません。
おそらくはニエプスや島津斉彬公、オスカー・バルナックだって。


自動化が進み、ちゃんと写ることがあたりまえになってしまった昨今、
荒井が機械式写真機にこだわるのは、写真はもともと電気による自動機構に頼らずとも写るぐらい簡素ながら、
自分の判断次第で写りが大きく変わってくる奥の深いものだと思うからでして、
それはものが写るという化学現象への素直な感動と、自分の力で記録することへのこだわりに他なりません。


もっとも、慣れてしまうと、自動機構任せで撮るよりも、手動式の方がはるかに確実に撮れるようになるんですよな。